国際開発教育研究センター |
カーニーへ留学してから約3か月、裏を返せば私の留学生活も残り1ヶ月となりました。留学当初は1日の経過がとても長く感じましたが、今では生活や食事にも慣れ1週間があっという間に感じます。私はアメリカの教育を学ぶことを第一の目的として留学をしていますが、教育以外にもアメリカ史、Writing、International
Studiesの授業を取っています。授業数が少ない分課題量が多く、テストも頻繁にあります。授業形式は様々ですが、100ページ以上読んだりグループディスカッションをしたりする度に自分の未熟さを感じます。自分の言いたいことを上手く伝えられない時もよくあります。しかし小中学校への訪問や、アメリカの視点から歴史を学ぶといった、日本ではできないこともたくさん経験しています。壁にぶつかるからこそ得られるものがあると信じ、授業に臨んでいる毎日です。私の場合、他の多くのGY生と違って1セメスターだけの留学です。そのため最近は時間の使い方に気をつけています。勉強することはもちろん大切ですが、勉強だけが留学の全てではありません。友達との会話や美味しいご飯、旅行など、新たな考えや環境、発見に出会う機会は他にもあります。例えば、同じ日本人でも高校卒業後すぐに渡米した人や、日本の大学を卒業した後に来た人など、自分にはなかった考えを持った人がたくさんいます。こうした時間をいかに充実させて多くのことを吸収し、視野を広げられるか。このことが大切だと実感しています。高校生の頃からずっと夢だった留学。残りの日々に後悔を残さぬよう、1日1日を充実させたいです。
私がこの文章を書かせて頂いているのは2016年11月23日、Fall Break中のThanksgiving前夜です。最近は、ハロウィンに知り合いのアメリカ人の方のお宅にお邪魔して仮装した子どもたちにお菓子を配ったり、当日である明日もですが、ターキーやマッシュポテト、パンプキンパイなどのThanksgivingの伝統料理を至る所で味わったり、さらには既にクリスマスツリーの飾りつけを手伝わせてもらったりと、あらゆる行事を実際に体験できる機会がたくさんありました。こうした中で、行事の意義を考えながら本格的に取り組むアメリカの人々の様子を知ると同時に、近年の日本人のそれらの行事への姿勢について、是非はともかくとして考えさせられます。また、2週間ほど前に大統領選が終わったばかりなのですが、それをテーマにして講義やディスカッションが進んだり、エッセイの課題が出されたりすることも多々ありました。それらを通してトランプ、ヒラリー両氏に対する学生たちの意見を生で聞けたことは、とても貴重な体験です。このように、実際に現地にいるからこそ得られる経験、考えは、留学における最大の醍醐味だと思います。まもなく期末テストのシーズンとなり、留学の折り返し地点がすぐそこに近づいています。その一方で、過ごした期間とは対照的に、コミュニケーションにおける自分の成長度合いがまだまだであることを痛感します。よく、コミュニケーション力と英語力は同じでないと言いますが、本当にそうだと思います。要は相手にどれだけ自分の思っていることを伝えられるか、相手の思いを理解できるかです。それにはもちろん英語力も必要ですが、もっと必要なのは伝えようとするチャレンジだと思います。今の自分には圧倒的にそのチャレンジが足りていないので、コミュニケーションにおいてはもちろん、残された時間の中で、留学している今しかできないチャレンジを数多くできるようにしたいです。
渡米して早くも3か月が経ちました。人によりますが3か月とは文化人類学的に述べるとカルチャーショックの過程で危機の段階に入る期間です。食べ物や生活習慣、考え方などを含めた文化に対する、“危機”です。自分がそれまでに育ってきた文化と比べ他の文化との違和に苦しんだり、劣等なものとして見てしまう姿勢のことを指します。留学生活は毎日が刺激的で圧倒されて様々な感情を抱きますが、勉強や様々なイベントに忙しくそれらの感情は次第に当たり前になってきます。MTSUは実に国際色豊かな大学で、最初は留学生として生活している気でいましたが次第にその感覚も失われました。私がそれに伴い考え始めたのは、“留学生として”ではなく“ここの学生として”過ごすということです。普通のことに感じます、様々な理由の下でそれには相当のエネルギー毎時間と教養を備えていないと、うまく作用せずすぐ空回りになってしまうことも学びました。私の場合、特に英語力と教養の少なさを痛感し苦しんでいます。時に自信を失い時に学ぶ喜びを感じながら毎日を過ごしています。当たり前であることは利点でも欠点でもあります。いい意味で苦しみながら過ごすことが日々の習慣になったら理想ですが、その苦しみを試行錯誤の材料とせず放っておく習慣がついたら自分に負けているという証拠です。当たり前は簡単であり難しくもあります。“当たり前との付き合い方”が留学中の新たな課題になりました。
アメリカで生活をするようになってから3か月が経ちました。食事や環境にも慣れて少しずつ友達も増えてきたものの、私にとっては実家から離れて暮らすというのが初めての体験であるため、家族の存在の大きさを身に染みて感じています。さて、留学の面白さの1つに、留学先の国と日本との違いということが挙げられると思います。私はここで、自分が病院に行った時に感じた日本との違いについての体験談を記そうと思います。残念なことに、私はじんましんを発症し、病院に行くことになってしまいました。もともと言葉の壁があり、知らない土地でどのように治療されるのだろうという不安を感じながら、友人に付き添ってもらい病院に向かいました。病院に到着後、最初の壁は症状や病名などの専門用語がずらずらと並ぶ問診票で、電子辞書を片手に何とか書き終え、その後の先生の診察もなんとか身振り手振りをまじえて自分の症状を伝えることができました。私を担当した先生やナースが親切であったため多少緊張はほぐれましたが、症状を抑えるために注射を打つことになりました。私は、注射は腕に打つものだと考えていたため、先生が「top of your hip」と言うのが聞こえた時、大変驚きました。健康第一ではありますが、注射を腰に打つという初めての体験は、私の中でおもしろい体験の1つとなりました。
このレポートの締め切りに迫られていた11月20日の夜のこと、ボストンで初雪が降りました。最初に断っておきますが、その美しさを報告するなどという雅なことをすれば、この留学報告は五七五・七七の計三十一字に収まってしまうでしょう。それでは指定の文字数に到底届きませんので、今回はその寒さを出発点にお話をします。ボストンには、毎年この時期にボストンキャリアフォーラム(略BCF)という日英バイリンガルのための就活フェアが開かれるため日本人が多く集まってきます。周りから見れば、アジアの人が一つの場所に同じ格好、それもフォーマルな西洋の召物であるスーツを着てたむろするというのは、異様かもしれません。そこまで言っておきながら、しかし、私が懸念したのはそこではなく寧ろ彼らの防寒対策が十分に為されていなかったことでした。まだ十一月ではありますが、すでに氷点下に至ることも多く、海風などで体感温度はさらに低くなります。命題が真ならその対偶も同様であると言いたいかの如く、「気を保てば病にはかからない」と空元気で乗り切る人もいるでしょうが、合理的にもう少し着込んで来てもらいたいものです。先人(誰とは言わない)の失敗からぜひとも学んで頂きたいですね。さて、適当な御託を並べている所からお察しのとおり私は寒さに萎え気味であります。ただこの街は、それを含めて私の住んでいる街、ホームタウンなのだなと最近実感するようになりました。毎週のようにボストン交響楽団の演奏を聴き、週二回MITの吹奏楽団で活動をする。個人的な趣味である音楽面においても充実していますし、それに限らず街を歩めば目に入るもの全てが芸術です。(言い過ぎました、半分くらいに訂正しておきます笑)一部しか紹介できないのが残念ですが、画像は日没前の市街地を展望台から撮影したものです。秋は夕暮れ。時を越え、海を越えても通じるものがありました。
アメリカのアーカンソー州立大学に来て半期が過ぎました。一番強く感じたことは、留学生活の難しさです。1人1人留学に対する目的は異なると思いますが、その中でも自分の目的をはっきりさせておくことが大切だと感じています。アメリカに出発する前は期待も混ざった目標を立てていた私ですが、モチベーションを保ち続けることが難しいと気づきました。学業面、英語のスキル、経験などすべて大切です。しかし2セメスターという長いようで短い期間の中ではどれをとればいいかという選択に迫られることもあります。そのために優先順位をつけて、迷った時はこれを最優先にしようと決めておくと自然と自分の中で折り合いがつけられると思います。また、アメリカに留学していても現地の生徒と交流し仲良くなるのは自分次第だということも思いました。やはりインターナショナル生のほうが、外国に留学しているという境遇も似ているため親しくなりやすいです。またアーカンソー州立大学は日本人留学生もとても多くいます。どこの国出身ということに固執して人間関係を狭めるのではなく、多くの人から刺激を受けつつ現地の人とも親しくなれるようにしていくことが現在の目標です。1セメスターが過ぎたこの時期に、もう一度振り返って残りのセメスターを有意義に過ごしたいと思います。