「新資料を発見した時の喜びは、研究者冥利につきる」
人文社会科学研究科 (教養学部) 教授 井口壽乃

私の研究

専門は?と聞かれると、大抵は「デザイン史研究」とか「視覚文化論」、また「中東欧のモダンアート論」や「ハンガリー・アヴァンギャルド芸術」などと答える。このように言うと専門が定まらないように聞こえるかもしれないが、大学院生時代から今日まで取り組んだ課題は、写真史、メディア芸術、戦後日本の前衛芸術、ハンガリー芸術、朝鮮および台湾の博覧会など多方面にわたっている。得意とする国と地域は、学生時代の留学経験を背景にハンガリーを含む中欧諸国である。日本ではめずらしい(と人から言われるが)、ハンガリー語(マジャール語)のできる芸術史家である。いわゆる旧東欧での生活経験が影響しているわけではないものの、とりわけ自分の関心は、芸術と社会との関わりにあり、そのため政治的プロパガンダや革命期の芸術家の活動、さらには技術やメディアと芸術表現の問題など、20世紀における芸術が抱える課題に注目している。そのため、芸術のある特定の表現領域(美術、写真、デザイン、建築など)のみならず、周辺領域にも目を向けなければならない。こうして、専門領域が次第に拡大していった。研究をはじめてから今日まで、作品と作品に関する史料や芸術家の手書きの書簡などを求めて、世界各地の美術館やアーカイヴス、さらに個人コレクターを訪問し、調査・研究を行ってきた。新資料を発見した時の喜びは、研究者冥利につきる。

研究者への歩み

私の場合、研究者への道は多くの同僚とは異なっている。もともと美術を研究するのではなく美術の創造者をめざしていた。20代は銀座の現代美術ギャラリーで個展を開催し、様々なグループ展にも出品したりした。たまに作品が売れることもあった。自分の才能は信じていたが、それでも若い時は若い女性の多くが悩むように、迷うことが多かった。壁にぶつかったある日、アーティストでなくても、美術のプロフェッショナルになる道はある、と思うようになった。そこからが研究者へのスタートだった。30歳を超えて大学院に入学し、芸術制作ではなく研究者としての勉強を始めた。留学のための試験を受けたのも、国費奨学金留学生に応募できるぎりぎりの年齢に達していた。幸い、ハンガリー科学アカデミー美術史研究所に留学が叶った。東欧の壁が崩壊してまもなくのハンガリー国で、混乱する社会の変革を目の当たりにし、時に留学生の身では厳しい部分もあったものの、何ものにも代え難い貴重な体験をした。今振り返ると、その

後の自分の研究者人生はこの時に決まったように思う。そして2011年、博士論文の研究対象であるハンガリー人芸術家ラースロー・モホイ=ナジの回顧展を企画・開催できるまでになった。

 

 

L. モホイ=ナジ展川村記念美術館ポスター
L. モホイ=ナジ展準備の様子

後輩へのメッセージ

博士論文のテーマが「ハンガリーの革命期の行動主義芸術運動」のせいか、大学院の先生から「あなた自身が行動主義者だ」と冗談で言われたことがあった。私自身が研究を通じて疑似体験をしているのかもしれないが、芸術は社会を変えうる力をもっていると考える。同様に、あらゆる学問の探求も創造的な行為だと思う。

無駄に思えることも自分がワクワクするならば、それをやり続ければいい。女性であるからこうしなければならないということはない。なにか障害があったとしても、本気で取り組めば周囲の人たちも環境も変えることができると信じることが大切だと思う。挫折や失敗は、将来自分に財産となって、きっと返ってくる。本気になれるものを見つけたら、勇気をもって本気になればいいのだから。

L.モホイ=ナジ展にて