重農主義の経済思想

はじめに
フランス重農主義はフランス重商主義の批判として、 古典派経済学はイギリス重商主義の批判として、それぞれ登場した。 重商主義批判を行うためには、 政府による保護・介入なくして、経済は自律的に動くことを示す必要があった。 それは重商主義者たちが素通りしてしまった「経済の骨格」を示す作業である。 ケネーとスミスはアプローチの角度こそ異なるものの、共通の課題に立ち向かったのである。

重農主義の背景
■社会経済的背景
ルイ14世のもとで財務総監を務めたコルベール(1619-1683)によって、 フランスでは重商主義政策が実施されていた。 それゆえ、「コルベルティスム」はフランス重商主義の別名でもある。

貿易差額を増大させることを目的としたコルベルティスムは、 具体的には以下のような政策をとっていた。

  1. 輸出産業(高級織物、陶器などの奢侈品)の保護育成(「王立マニュファクチュール」) →国際競争力増大→輸出拡大
  2. 低穀物価格政策→低賃金政策→輸出品の競争力増大
  3. 輸入品に高関税
17世紀から18世紀にかけてのコルベルティスムの諸帰結。
  1. 低穀物価格政策→農村の疲弊
  2. 重商主義戦争の継続→国民の困窮(特に農民に対する課税や賦役)
  3. 国家財政の危機
人為的な政策にゆがめられた、旧体制(「アンシャンレジーム」)下での フランス経済の破綻を立てなおすことが重農主義の課題となる。

重農主義者は自らを「エコノミスト」と称した。 この名称が英語のエコノミストになった。

■重農主義の思想
フュジオクラシー(physiocratie)=physio(自然)+cracy(支配)=「自然の支配」
自然法の貫徹が「自然的秩序」を生み出し、それが最良の秩序であるというのが、 重農主義の信条である。

人間の自然権としての所有権 → 社会的自由 「社会的自由とは、われわれの所有権を最大限に活用して、他人の所有 権を侵害せずにそれから出てくる一切の享楽を引き出すことを許す互い に無関係な意志が独立している状態」(『自然的秩序』1767より)

ケネーと自然法

フランソワ・ケネー:1694-1774。 パリ近郊の裕福な農家に生まれる。 パリ大学医学部で学び、外科医となる。 ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人の侍医として活躍。 当時低く評価されていた外科医の地位向上に貢献したことで知られる。 また、ハーヴェイの血液循環論(1628)から、経済循環の着想を得たと言われることもある。 最初の『経済表』は1758年ごろ印刷されたと言われる。 ミラボーらとフランス啓蒙運動の一翼を担い、 『百科全書』に寄稿もしている。一時期アダム・スミスもケネーのもとで学んでいる。 以下引用は、『経済表』は平田清明訳(岩波)、それ以外は有斐閣版全集第3巻による。
神→自然法→実定法
「あらゆる人間、およびあらゆる人間の権力は、神によって制定されたこの至高の法 〔自然法〕に従わなければならない。 つまり、この法則は、不易にして拒否できない、ありうる中で最良の法であり、 したがって、最も完全な統治の基礎とでもいうべきこの法は、 あらゆる実定法の根本をなす規律でもある。 けだし、実定法は明らかに人類に最有利なる自然的秩序に関する管理の法にすぎないからである。」 (「自然権」77頁)
「この法〔自然法〕は、人間の自然権の一部をなすところの人間の自由を、少しも制限しない。 けだし、自由による最良の選択が目指すものは、明らかにこの至高の法から由来する 諸利益だからである。 人間は当然、この法に服従すべきことを拒みえないのであって、そうでなければ、 人間の自由は自己自身や他人に有害なる自由にすぎなくなるからである。」 (「自然権」80頁)
ケネーの自然法もロックと類似している。 自然法から導出される権利は、所有権と自由とされる。 この自由は何でもすることが許される自由ではない。 「人類に最有利なる自然的秩序」を実現するための自由である。 したがって、理性を働かすことによってはじめて、自由の範囲が確定されることになる。 それゆえ、「社会では無知が罪になる」(同80頁)とケネーは言う。

経済表の想定と用語
経済の自然的秩序を解明したのが「経済表」である。 それは生産された富が売買されていきながら、 再生産の継続が可能になる様子を簡潔に図示したものである

「社会に結合した人間にとって、明らかに最も有利な自然的秩序の根本法則を 認識することは必要不可欠である。このような法則を徹底的に研究し、 その過程を追求し、それを描くためには、 経済学の基礎として役立つ根本概念にまでさかのぼり、 主権の保護のもとに社会に結合した、あらゆる階級に対する富の年々の分配および 年々の再生産において機能する、 自然の継続的な作用とはどういうものかを、 明証的に納得ゆくまで探求し、考察しなければならない。」(典拠??)
経済表に描かれている世界は現実のフランスの社会ではない。 低穀価格政策などが実行されていない「理想の農業王国」である。 以下、経済表の基本的な想定を列挙しておく。

■良価
経済表では、 「商業上の自由競争と農業の経営資本の所有が絶対安全とがつねにある場合に、 商業諸国民間に成立している価格」で売買が行われていると想定している(『経済表』74頁)。 このとき穀物については「良価」が成立する。 良価は生産費に一定の利潤を加えた価格である。

■純生産物
純生産物=売上高−必要経費
純生産物を生み出すのは農業だけ、とするところにケネーの特色がある。 つまり、製造業は費用を回収するだけで、剰余を生み出せないのである。 ケネーは製造業は自然を加工するだけで、新たな生産をしていないと見ていた。 ここから、農業に従事する階級を「生産階級」、 製造業に従事する階級を「不生産階級」と位置付けることになる。

「主権者および国民は、土地こそ富の唯一の源泉であり、富を増加するのは 農業であることを決して忘れるべきではない」(『経済表』150頁)

■3階級
生産階級=農業
不生産階級=商工業
地主階級=地主、主権者

ケネーの階級構造には、資本家と労働者は明示されておらず、隠れている。 したがって、生産階級といっても、その実態は農業資本家と農業労働者の 両方が含まれていることになる。 つまり、資本主義的農業がイメージされているのである。 ここにはフランスの北部にしか存在していなかった定額借地農制が投影されている。

■前払い
「前払い」は「原前払い」と「年前払い」の2種類がある。

「年前払い」は耕作労働への支出で、農業労働者への支払いと種子などからなる。 流動資本にほぼ相当する。

「原前払い」は農機具などで、固定資本にほぼ相当する。 毎年一定の割合で消耗するので、その分を補填しないと生産が継続できない。 この補填分のことをケネーは「原前払いの利子」と呼ぶ。

経済表
経済表は単純再生産を描いたものである テキストに従って「経済表原表」ではなく「経済表の範式」を説明する。 テキストとは順番がやや異なるが、本質には違いはない。 なお、金額の「億」は省略してある。

各階級が1年間に行う経済活動を最初に総括しておく。

生産階級: 「原前払い」100と「年前払い」20とを用いて、50の農産物を生産する。 ただし、「原前払い」のうち毎年、消耗するのは10%、すなわち10だけである。 農産物50のうち30を他の階級に販売する。また純生産物20を地主に地代として支払う。

地主階級は地代20を生産階級から受け取り、それで消費財(農産物10と製造品10)を購入する。

不生産階級は20の原材料(農産物)を加工し、同じ金額の製造品を生産し、販売する。

取引を各ステップごとに見ていく。
   ■農産物;○貨幣;▲製造品。それぞれ一つ10の価値を表す。
   矢印は生産(および消費も含まれる)、[ ]は消費。
生産階級地主階級不生産階級
(1)■■▲
  ↓
■■■■■
○○
(2)■■■■○[■]○
(3)■■■○○■→▲
(4)■■■○○[▲]
(5)■■○○○  ■→▲
(6)■■○○▲ 
(7)■■▲ ○○

(1)生産階級:農産物20(これが「年前払い」)、製造品10(これが「原前払い」の消耗分にあたる)を使用して、農産物50を生産する。
地主階級:貨幣20を所持
不生産階級:貨幣10を所持
(2)地主階級は消費用に農産物10を生産階級から購入し、消費する。
(3)不生産階級は生産階級から農産物10を購入し、
その一部を原料として加工し、残りを生活資料として消費する(■→▲)。

(不生産階級は価値を増加させないことに注意)
(4)地主階級は不生産階級から消費用に製造品を購入し、消費する。
(5)不生産階級は生産階級から農産物10を購入し、
その一部を原料として加工し、残りを生活資料として消費する(■→▲)。
(6)生産階級は不生産階級から製造品を購入する。
(ここで購入しているのが「原前払いの利子」=固定資本の補填分)
(7)生産階級は地主階級に地代20を支払う。

【注意】:商工業部門で純生産物が生まれないからといって、今日的な意味での付加価値がゼロであることを意味しない。 なぜならば、不生産階級が購入する農産物のうち半分は原料で、 残りの半分は「その従事者の生活資料として支出する」(87頁)と述べているからである。 この「従事者」が仮に資本家と労働者であるとすれば、 必要経費=原材料費+賃金+利潤 となる (賃金+利潤が付加価値である)。 したがって、純生産物がゼロであるというのは、商工業部門全体が購入する農産物 (原材料分+労働者の消費分+資本家の消費分)の代金と製造品の代金が一致している ということにすぎないのである。

取引のステップ(3)を例にとれば、農産物10は原材料5と生活資料5に分かれ、 前者は加工されて製造品になり、後者は消費される。 製造品は10で販売されるから、原材料費との差額5が付加価値であると いうことになる。

■農産物10< 原材料5+付加価値5→▲製造品10
生活資料5

付加価値と等しい金額の生活資料を消費しているから、純生産物は生まれない。

■経済表のポイント
1.再生産が可能となる経済全体での物的な連関を示している((1)と(7)を比較せよ)。
2.貨幣による売買関係を示している。

経済表は単純再生産を扱っているが、地主の製造品と農産物への支出割合を変化させることで、 拡大再生産へと拡張できることをケネー自身が示唆している。

「いま仮に、地主が自分たちの土地を改良し、自分たちの収入を増加させるために、 不生産階級よりも生産階級に対して、より多くを支出するならば、生産階級の労働に 用いられる支出のこの増加分は、この階級の前払いの追加と見なされねばならないであろう。」 (『経済表』83頁)

経済を循環(再生産)で把握しようとするケネーの考え方は、 19世紀のマルクス(再生産表式)や20世紀のレオンチェフ(産業連関表、投入産出表)によって 継承、発展させられていった。

【応用】:経済表は投入産出表のスタイルへと書きかえることができる(プリント参照。 ここでは、純生産物が「付加価値」と表現されているが、 今日的な意味での付加価値とは異なることに注意)。
投入産出表は縦に見ていくと、投入(中間生産物)+付加価値=産出物 となっている。 例えば、農業部門を縦にたどれば、農産物20と工業製品10を投入し、 付加価値20を生み出して、合計で50の農産物を生産していることが分かる。 また、横にたどると生産物がどこに需要されるか(売られていくか)が分かる。 例えば、農業部門を横にたどると、農産物のうち20は農業部門で需要され、 20は工業部門で需要され、最終需要(地主の需要)が10で、合計50の農産物が 需要されることが示されている。

ケネーの経済政策
■財政政策
財政赤字:赤字財政を批判した。

「国家は借り入れを避けること。借り入れ金は財政上のラント〔金利・定期的な支払い〕を 形成し、とどまるところを知らない借金を国家に負担させる」(『経済表』156頁)
支出:単純な財政削減の主張ではなく、国富を増大させるのに役立つ支出を求めた。
「政府は節約に専念するよりも、王国の繁栄に必要な事業に専念すること。 なぜなら、多大な支出も富の増加のためであれば、過度でなくなりうるからである。 だが、浪費と単なる支出とは混同すべきではない。 というのも、浪費は、国民や主権者の富をすべて貪りかねないからである。」 (『経済表』156頁)
【注意】:ケネーが「レッセフェール」を求めたのではないことは明らかである。 王国の繁栄に必要事業として公共事業を重視している。 事実、中国の大運河建設を皇帝の偉業とたたえている。 ケネーは中国の開明的な専制君主を高く評価しており、「ヨーロッパの孔子」と呼ばれていた。 国王を改革の中心として、旧体制下の様々な特権階級を排除していくのがケネーの目標であった。 しかし、ケネーたちの試みは失敗に終わる。 「啓蒙専制のもとで経済近代化をはかろうとする時代は終わりました」(テキスト46頁)。
土地単一課税:ケネーの議論では農業しか純生産物を生み出さない。 それゆえ、生産を破壊しない課税は、この純生産物にかけるしかない。 純生産物は結局、地主階級の収入となるので、地主階級のみが納税者になりうる。 当時の地主階級は特権をいかして様々な課税逃れをしていた。 それゆえ、「土地単一課税」は旧体制の構造改革を目指した極めてラディカルな主張であった。
「租税は、人間の賃金や諸財に課されないで、土地が生む純生産物に対して 直接課税されること。 もし、賃金や諸財に課されるならば、租税は徴税費を増加させ、商業を害し、 国民の富の一部を年々破壊するであろう。」(『経済表』150頁)
■貿易政策
穀物の自由な輸出を可能にさせ、穀物価格を良価まで引き上げることを要求した。
「交易の完全な自由が維持されること。なぜなら、最も安全かつ最も厳格であり、 国民と国家にとって最も利益をもたらすような国内交易と外国貿易の政策は、 競争の自由が完全であることに存するからである。」(『経済表』155頁)

重農主義の限界
ケネーの分析は農業セクターと商工業セクターの区分に依拠したために、 スミスやマルクスのように資本家と労働者の関係が不分明となった。

アダム・スミスは農業しか純生産物を生まないというケネーの想定を批判した。 この問題は穀物価格と製造品価格の設定に帰着する。 おそらく、低穀物価格政策批判を強く浮き立たせるためであろうが、 価格の分析を深めることなく、経済表では与件として扱われているにすぎない。 ちなみに、経済表の本質を変化させずに、工業でも純生産物が発生するような価格を設定することは 可能である(詳しくは、三土修平『経済学史』を参照せよ)。

改革の結末
ケネーたちの提案は、重農主義者で財務総監であったチュルゴーによって 実行に移されていく。 しかし、1776年に踏み切った穀物の取引自由化は、運悪く凶作に遭遇し、 穀価は暴騰し、フランスの南部では暴動が発生した。 チュルゴーは失脚し、重農主義の権威は失墜し、改革は頓挫してしまう。 結局、フランスは旧体制が継続し、1789年フランス革命という ドラスティックな変革を経験することになる。