古代ギリシャの経済思想

経済学の語源
「economy」という英語の語源はギリシャ語「オイコノミア」である。 この言葉は、クセノフォン(BC.430-354ごろ)が用いたことで知られる。 この言葉は 「家」を意味する oikos と、「法律・法則」を意味する nomos を合成したものである。つまり、自分の家産をいかに管理するか、というのがオイコノミアの原義であり、日本語では「家政」という言葉が最も近いように思われる。アリストテレスの引用などから分かるように、「家政」の延長としてポリス経済を把握していたのである。

さて、経済学とは何であるのか?このことを考えるために、ヨーロッパの思想的源流とされている紀元前3,4世紀ごろのギリシャにまで遡って、経済への問いの起源を探ってみたい。とはいえ、ここで登場する「経済学」は、今日の経済学とはかなり異質なものである。今日の経済学の特質を理解するために、経済学ならざる「経済学」を考察するのが、ここでの目的である。

とはいえ、ここで登場する「反経済学」は2000年以上前の過去の遺物というわけではない。現代の最先端の経済学にも連なっているのである。

ポリス社会アテネの衰退
古代ギリシャはいくつかのポリス(都市国家)からなっていた。 代表的なポリスがアテネとスパルタである。

古代ギリシャの中心であるアテネが最も栄えた時期は紀元前5世紀ごろであった。 そのころの人口は、自由民が20万人ぐらい、奴隷が10万人ぐらいであったと推定されている。ポリスの中心である都市と呼びうる部分は小さいが、アテネは全部で現在の佐賀県ぐらいの面積であった。 市民の多くは土地を所有していた。 労働は卑しいものと見なされ、労働にたずさわるのは奴隷と下層市民であった。 労働をしない市民は、政治や思索を行っていた。

注意:奴隷といってもアメリカ南部の黒人奴隷とはだいぶ様相が異なる。 今日で言えば、農地や作業場で働く奉公人や女中などのイメージに近い。 政治に参加する権利や裁判に訴える権利などの市民権がないために「奴隷」と称されてきたが、大きな農園の管理を任されていた奴隷さえ存在していた。
紀元前5世紀末から4世紀にかけて(B.C.431-404)、古代ギリシャの2大ポリスであるアテネとスパルタは2大勢力に分かれてペロポネソス戦争を戦った。 この戦争でスパルタが勝利し、アテネの衰退がはじまる。
ペロポネソス戦争は表向きはアテネとスパルタとの戦争である。 スパルタはペルシャと同盟を組んで戦っており、戦争の実態はペルシャとアテネとの戦争であった。言い換えれば、ギリシャとオリエントの戦いである。そのために戦後、ギリシャ全体が衰退へと向かっていくことになる。

戦争の結果、アテネには貨幣経済が浸透し、外国人による土地の購入が許されたこともあって、 土地を失う市民が増え(→奴隷身分への転落)、市民間での貧富の格差が増大した。 また、食糧供給地である植民地を失ったことにより、食糧供給の制約が問題となった。

プラトンやアリストテレスは衰退期のアテネに登場したことになる。 彼らの課題は、アテネ社会の解体をいかに食いとめるか、というところにあった。 これが重要なポイント。

プラトンの理想国家

プラトン:B.C.427-347。ソクラテスの弟子。 ソフィストと論争し、彼らが唱える知識(真理、正義、美など)の相対性を批判した。 プラトンのイデア論は後の西洋哲学に大きな影響を与える。 主著『ソクラテスの弁明』、『国家論』など。以下、引用は『国家』岩波文庫。

プラトンは、衆愚政治に必然的に転化する政治形態として民主制を批判した。プラトンの師匠であるソクラテスはアテネの「民主的な」裁判制度によって冤罪で死刑となった。こうした経験が、大衆に対する懐疑の姿勢を生み出した一因と言えよう。

「『民主制国家は何を善と規定しているのですか?』『自由だ。...この自由こそ民主制国家が持っている最も善きものであって、それゆえに生まれついての自由な人間が住むのに値するはこの国だけである、と人が言うのを聞くだろう。』...『このような国家においては、必然的に自由の風潮はすみずみにまで行きわたって、その極限に到らざるをえないのではないか?...個人の家の中にまで浸透していって、ついには動物たちにいたるまで無政府状態に冒されざるをえないことになる』」(下巻pp.217-221)
過度の自由の追求は過度の隷属状態を欲することになり、僭主独裁性を生み出すと予想した。プラトンの理想とした国家では、政治は大衆ではなく哲学者が行うことになる。

哲学者の階級:政治を行う階級で、美徳は知恵。
軍人の階級:国家の防衛が仕事で、美徳は勇気
労働者(奴隷)の階級:生産が仕事で、美徳は節制

プラトンの論争相手であるソフィストたちは真理を売ることで生活を立てていた。まさに市場そのものがソフィストを成り立たせていたと言える。知識を含めて自由に商品が売買される場である市場は、プラトンから見れば否定されるべきシステムである。

欲望の規制と共産社会
■不必要な欲望
欲望の拡大とそれにともなう消費の拡大こそが、今日の資本主義社会が発展するための原動力と言ってもよいだろう。これに対してプラトンは欲望が展開されていくことを批判した。プラトンは「必要な欲望」と「不必要な欲望」とが分類できるとする。後者は抑え込むべき有害な欲望とされる。例えば、パンのような栄養摂取の観点から不可欠な食事に対する欲望は「必要な欲望」、これに対して栄養としては不必要な「調味されたおかず」に対する欲望は「不必要な欲望」としている。その区分は次のようにして行っている。

「どうしても払いのけることのできない欲望は、正当に必要な欲望と呼ばれるだろう。...若いときから訓練すれば取り除くことのできるような欲望、さらにわれわれの内にあって何一つ為にならず、場合によっては害をなすことさえあるような欲望、これら全ての欲望を不必要な欲望と言うならば、正しい呼び方である。」(下巻p.208)

■貨幣の使用禁止
哲学者と軍人の階級においては、私有財産や貨幣の使用が禁止された。一種の共産主義社会と言える(奴隷は貨幣の使用が容認されている)。それは土地を失ったことによる供給制約下で、社会秩序を維持する方法であったと言えよう。供給制約(ゼロサム社会)があれば、あるものが豊かになれば、必然的に他のものが没落する。それを防止する方法がプラトンの共産社会ということになる。

「神的な金銀の所有をこの世の金銀の所有によって混ぜ汚すのは神意にもとる。なぜなら、数多くの不敬虔な罪が、多くの人々の間に流通している貨幣をめぐって為されてきたのである。...国民のうちで彼らだけは金や銀の取り扱い触れることを許されない...。彼らが自ら私有の土地や、家屋や、貨幣を所有するようになるときは、...彼ら自身も他の国民も、すでに滅びの寸前にまでひた走っているのである。」(上巻p.258)
「多くの人々から幸せだと羨ましがられることに惑わされて、財貨の山を際限なく積み上げることにより、これまた際限のない災いを抱え込むようなことはしないだろう。...財産の多寡によっていささかでも国制を乱さないように、財産を増やしたり消費したりするだろう」(下巻p.299)

■婦女子の共有と人口管理
財産の共有制は婦女子の共有までも含んでいた。今日的には異様に思われるかもしれないが、家族制度を否定的に見ていたスパルタでは、親子は引き離され、子供は社会的に育てられていた。プラトンもスパルタをモデルにしているのである。

「これら女たちのすべては、これら男たちすべての共有であり、誰か一人の女が一人の男と私的に同棲することは、いかなる者もこれをしてはならないこと。さらに、子供たちもまた共有されるべきであり、親が自分の子を知ることも、子が親を知ることも許されない。」(上巻p.361)
婦女子の共有のねらいは人口管理にあった。供給制約のある社会では人口増大の余裕はない。そのために、一定数の人口を維持せざるをえないからである。
「最もすぐれた男たちは最もすぐれた女たちと、できるだけしばしば交わらなければならないし、最も劣った男たちと最も劣った女たちは、その逆でなければならない。」(上巻p.367)
「守護者たちが戦争や病気やすべてそれに類することを考慮しながら、これらの人々の数を可能な限り一定に保つように、そしてわれわれの国家ができるだけ大きくも小さくもならないようにするために。」(上巻p.368)

まとめ:敗戦による農地の喪失がもたらした供給制約下での社会の維持が、プラトンの理想国家には投影されている。プラトンの思想をまとめれば、社会(=ポリス)のために個人が生きなければならず、欲望の展開など許されないことになる。

アリストテレス

B.C.384-322。プラトンの弟子。 しかし、イデア論批判にはじまり、プラトンと多くの点で意見異にした。 マケドニアのアレクサンドロス王の家庭教師。 主著は『ニコマコス倫理学』、『政治学』など。 以下のページ数は岩波全集版『政治学』による。
■財産の共有制批判(プラトン批判)
アリストテレスはプラトンの共有制を批判した。
「財産はある意味では共有でなければならないが、しかし一般的に言って、それは私有でなければならない。というのは、財産への配慮が各個人の間に分けられていれば、お互いに不平を言い合わない上に、各個人は自分自身のものに身を入れているように思うので、その配慮は一層増すことになるだろう。」(p.47)

■必要に応じた交換
アリストテレスにおいてもプラトン同様に、欲望の有限性(必要な消費)という発想がある。

「善き生活に必要とされる財の分量は無限ではないからである。」(p.22)
必要を満たすための財の交換は許容される。
「最初の共同体(すなわち家)において、明らかに交換の術が働く余地はない。むしろその働きは共同体がすでに一層拡大してのことである。なぜなら、前者の共同体に属する人々は何でも同じものを共同で持っていたのであるが、後者の共同体の人々はいくつかの独立な家に分かれていたので、それぞれ多くの異なったものを持っていた。そしてそれらの異なったものを必要とするところに従って、今日なお野蛮な民族の多くがやっているように、物々交換によって自分のものと交換しなければならなくなったからである。...このような交換の術は自然に反したものではない。なぜならば、それは自然的な生活の自立自足にとって足らないものを充たすためにのみ成立したからである。」(p.24)
■「クレマティスティケ(取財術)」の禁止
クレマティスティケ(=金儲けを目的とした交換活動)は必要に応じた交換ではないから禁止される。それは人々を殖財のために生きるようにさせてしまうからである。
「貨幣が考案されると、やがて必要やむを得ない交換とは別の種類の取財術が生じてきた。すなわち、商人的なものがそれである。」(p.25)
「ある人は殖財が家政術の仕事と思われるようになる。そして貨幣からなる財産を失わぬようにしなければならないとか、無限に殖やさなければならない、と絶えず思うようになる。そしてこの気持ちの原因は善く生きることではなくて、ただ生きることに熱中するところにある。この欲望は無限であるから、それを満足させる手段をもまた無限に欲することになる。」(p.26)
普通の財に対する欲望には限度があるにしても、貨幣に対する欲望は無限のものになるとアリストテレスは考えている。したがって、貨幣を増殖させるための交換を批判することになる。
「自然にかなった取財術、自然にかなった富は別のものであり、それは家政術に属する。しかるに、商人の術は財を作る仕方によってではなく、ただ財の交換によるだけのものだからである。そしてこれは、貨幣に関係するものだと思われている。なぜならば、貨幣は交換の出発点であり、目的点でもあるからである。さらに、この種の取財術から生じる富には限りがない。」(p.25)
アリストテレスの議論に従えば、貨幣は交換の手段としてのみ容認され、利潤を得る手段としては否定されることになる。つまり、G−W−G’(資本の一般的定式)は否定されていることになる。

■利子の禁止
商品を媒介せずに利子をとる貨幣の貸し付けは、最も否定されるべきものであった。 利子の禁止はキリスト教圏で長く継承されていくことになる。

「憎んで最も当然なのは高利貸しである。 なぜならば、貨幣は交換のために作られたものであるが、 利子は貨幣を一層多くするものだからである。 したがって、これはクレマティスティケのうちで実は最も自然に反したものである。」(p.29)
■分配的正義と応報的正義
正義の観点から、アリストテレスの考えを整理しておく。 アリストテレスは分配的正義と応報的正義の他に、是正的正義や比例的正義等々何種類もの正義をあげており、諸正義間の関係はやや複雑である。ここでは彼の主著『ニコマコス倫理学』に即して、分配的正義と応報的正義だけを単純化して整理しておく。

各人の価値に応じて土地や穀物などの物資が分配されることを「分配的正義」とアリストテレスは呼ぶ。

「分配における正しさは何らかの[人の]値打ちに従って定められなければならない、というのは誰もが承認する原則である。」(『倫理』152頁)
ポリス社会においては人は平等の価値を持つものではない、とアリストテレスは考えている。だから分配的正義は「平等な」分配を実現するものではない。物の生産や交換に先立ってすでに決まっている各人の価値に応じた物(正確には名誉なども含まれる)の分配が問題なのである。その要点はポリスを維持するのに必要な物の分配と言えるであろう。分配的正義を現代風に説明すれば、各人の必要に応じて土地や穀物などの物資が分配されている状態ということになる。

もう一つの正義が「応報的正義」である。これは物資の交換と結びついた正義である。

「交換による人と人との結びつきにおいてはこの種の正しさ、つまり比例により、均等にはよらない応報の理が人を結びつける。」(『倫理』158頁)
アリストテレスは農夫と靴職人を取り上げて、両者の製品を交換するときに「相互間の応報が実現されるのは、双方の間に平等が実現される」場合であると説明し、次のようにも表現している。
「正しさとは何らかの意味における利得と損失の中間であり、[交換の]前と後も等しいだけのものを持つことである」(『倫理』157頁)
交換前後で等しいのものを持つということから、ここでは一種の等価交換が含意されていると理解できる。『政治学』の議論と重ねあわせるならば、次のように解釈することが可能である。

○必要に応じた交換:W−G−W(等価交換=応報的正義の実現)
×クレマティスティケの交換:G−W−G’

最後のものは、マルクスの「資本の一般的定式」と一致する。 つまり、アリストテレスは貨幣の資本への転化を防ごうとしたことになる。

不等価交換が生み出す貧富の格差の増大や市民の没落の原因を、アリストテレスはクレマティスティケに求めたことになる。それゆえポリス維持のために、クレマティスティケは否定されることになる。だが問題となるのは、応報的正義は必ずしも分配的正義を実現しないということである。このことをアリストテレスは認識しており、分配的正義が優先されるべきものと考えている。

分配的正義:ポリス維持に必要な物の分配(交換以前に決っている)
応報的正義:互いに「応報的」となる交換(等価交換)→利益が生まれない

■今日の視点から
アリストテレスはポリスを維持する術であるオイコノミアを肯定し、クレマティスティケの追求は否定されるべき人間のあり方であった。今日の経済学の主流は、各自の利益の最大化を追求する市場を肯定する。それゆえ現代の論者の中には、経済学という名称を、クレマティスティクスに改めるべきだと主張するものも現われた。