古典派経済学の展開

はじめに

産業革命期の経済社会を理論的な分析しようとしたのが、リカードである。 スミスの記述的な『国富論』に対して、リカードは『経済学原理』において、 きわめて論理的な体系を提示した。 リカードの経済学は古典派の頂点を画すると言ってよい。 それはリカード学派と呼ばれたマカロックたちに継承されていく。 マルクスも経済理論の基本的な枠組は多くをリカードに負っている。

リカードの同時代であり、論争相手であったマルサスは『人口論』で知られる。 マルサスの提示した人口法則は、古典派蓄積論を支える道具として利用されていく。 他方、マルサスはリカード経済学に反旗を翻した人物でもある。 だが、マルサスの経済学は同時代には主流となることはなかった。 マルサスの経済学は20世紀になって、ケインズによって復活することになる。

ここではまずマルサス『人口論』における社会像を確認し、 次にマルサスとリカードの穀物法を巡る論争を概観し、 そこから生まれたリカード『経済学原理』の内容を見ていく。 最後に、リカードに対してどのようにマルサスが反論を加えたかを見ることにする。

マルサスの時代
スミス『国富論』に登場する資本家や労働者は必ずしも近代的な3階級ではなかったし、 事実、独立小生産者がしばしば登場した。 マルサスが活躍した時代は、産業革命の真っ只中であった。 産業革命は独立生産者を没落させ、資本家・賃労働者・地主の3階級が析出されてくる 時期であった。(独立自営農民ヨーマンは1815年に消滅したとされている)

スミスの予言は、飛躍的な生産力の発展という点では大筋では正しかった。 しかし、富裕の一般化という点では、必ずしも当たったとはいえない。 産業革命は貧しい労働者階級を生み出し、貧困と道徳的退廃が蔓延した。

食料不足や物価上昇で農村の困窮は強まった。 1795年スピーナムランド制度がイングランド南部からはじまる。 従来の救貧制度は救貧院に収容された貧窮者のみを救済の対象としていたが、 院外にまで広げた、賃金補填を行うようにしたのがスピーナムランド制度である。 救貧法の拡大適用といってよい。

フランスでは革命(1789‐1799)の勃発により旧体制は瓦解した。 フランス革命はロベスピエールらのジャコバン派によって急進化する過程で、 近代化への市民革命という枠を越えて、平等主義的な思想を生み出していく。 この思想はイギリスにも影響を与え、労働運動や議会改革運動を活気づけることになった。

平等主義批判
フランス革命に対する熱狂的雰囲気の中で生まれたのが、 ゴドウィン『政治的正義に関する研究』(1793)である。 ゴドウィン(1756-1836)は人間の進歩に全幅の信頼をよせており、ユートピア社会が実現できると考えていた。 人間の理性はどこまでも進歩し、 自然は理性が生み出したテクノロジーによって管理され、 人間の欲望も理性によってコントロールされるようになると考えた (ゴドウィンはテクノロジーの進歩で人間は不老不死になるとさえ言っている)。 こうした社会を実現するにあたって、私的所有制度や政府は障害でしかなかった。 私的所有制度がなくなれば階級のない平等社会が実現し、労働時間は短縮され、 貧困は解消すると考えられた。さらに、政府は人々を抑圧する機関に他ならないとゴドウィンは見ていた。平等社会が実現すれば、人々の間に支配し、支配される関係がなくなるから、政府も必要なくなると考えたのである。

マルサス 1766-1834:イングランド生まれ。ケンブリッジ大学を卒業し、 イギリス国教会の牧師となり、後に東インド大学で経済学の教授となる。 これは世界で最初の経済学の教授職と言われている。 『人口論』(1798)は広範な領域に大きな影響を及ぼした。 リカードウとの経済学上の論争は『経済学原理』(1820)として結実する。 引用は『人口論』とあるのは初版で永井義雄訳『人口論』(中公文庫)、 2nd, 3rd とあるのは原典ページ。
『人口論』の第一のねらいはゴドウィンらの平等主義を批判することにあった。
「ゴドウィンが提唱している平等の制度は、疑いもなく、これまでに現れたいかなる制度にも まして、うつくしく魅力がある。 理性と信念とだけによって作り出される社会の改良は、力によって実現され維持される いかなる変革よりも、ずっと永続する見込みがある。 ....しかし、その時は決して来ることがないのである。 その全部が夢であり、想像の美しい幻想にすぎない。 われわれが現実生活にめざめ、地上における人間の状況を考察するとき、 これら幸福と不死との『豪華な宮殿』、これら真理と有徳との『荘厳な寺院』は、 『基礎のない幻想の建造物のように』解体するであろう。」(『人口論』110頁)
マルサスにとってゴドウィンの議論はまさに机上の空論であった。 社会問題を全て社会制度に起因するとしたゴドウィンに対して、 マルサスは社会制度ではなく、人間の本性こそが害悪の根源であると批判した。
「ゴドウィンがその著作全体を通じて犯している大きな誤謬は、市民社会における ほとんどすべての悪徳と不幸を人間の制度のせいにしていることである。.... 人間の制度は、人類にとって多くの害悪の明白かつ顕著な原因だと思われるけれども、 だが実際には、人間の生命の源泉を腐敗させ、その全部の流れを混濁させる不純なもっと 根深い諸原因に比べると、表面に浮かぶ羽毛にすぎない。」(『人口論』111頁)
ゴドウィンが理想とした社会では、人々は平等で飢えの心配をすることもないし、 両性の自由な交渉を保証するために結婚の制度もない。 マルサスはこの理想社会が人口増加のゆえに破綻するであろうと批判した。
「私はこれほど人口増加に好都合な社会形態を考えることができない。 ...人口に対するこれらの途方もない刺激があり、また、われわれが仮定したように、 人口減少のあらゆる原因が除去されるので、人口は必然的に、これまで知られるいかなる 社会よりも急速に増大するであろう。」(『人口論』117頁)

人口原理

体制変革の無効性を説くために求められた「人口法則」は、 食料増加率と人口増加率との相違から導出された。 マルサスは制限がなければ「人口は25年間で倍になる」と考えた(『人口論』28頁)。 実際に、制限が少ないアメリカでは25年間で人口は倍になったという経験的証拠を マルサスは挙げている。 人口増加の根源にあるのは「情念 passion」(性欲)の不変性である。 ゴドウィンが考えた理性による情念のコントロールという考えは、 マルサスには空論と思われた。

「ゴドウィンは両性の間の情念は、いずれは消滅することもあろうと推測した。 ....しかし、両性の間の情念の消滅の方向に向かういかなる進歩もこれまで見られなかった。 それは二千年、あるいは四千年前と同じ強さで、今も存在しているように思われる。」 (『人口論』22頁)
「両性間の情念が消滅に向かうがごときは、世界か存立してきた5千あるいは6千年 のうちに、なにも生じなかった。」(『人口論』128頁)

一方、食料の増加は人口増加には追いつけないとした。 この違いを「等比数列」と「等差数列」という言葉で表現したことはよく知られている。

「人口は制限されなければ、等比数列的に増大し、人間のための生活資料は等差数 列で増大する。」(『人口論』26頁)
「〔最初の25年で食料を倍にできたとしても〕つぎの25年に生産が四倍になりうるであろう と考えることは不可能である。それは、土地の性質に関するわれわれ全ての知識に、 反しているであろう。 われわれが考えることのできる最大限は、第二の25年における増大は、現在の生産高に等しい であろうということである。 それでも、真実をはるかにうわまっていることは確かであろうけれども。」 (『人口論』28頁)

食料と人口の増加率の格差から、人口に対する「制限 check」の必然性が導かれることになる。 この制限は「積極的制限」と「予防的制限」に分類される。 前者は飢え、捨て子、戦争などによる死亡率の上昇であり、後者は出生率の低下である。 イングランドのように発展している国では、予防的制限が全階層にわたって行われているとされる。 上層ならば子供の養育による生活水準の低下を避けるために、 下層ならば子供の養育が不可能であるので結婚を遅らせる。 このように予防的制限が行われているから、人口増加率が低くなっているとした。 情念は不変である以上、結婚までの間に何らかの不道徳な行いがあるとマルサスは見ている。

「結婚に対するこれらの〔予防的〕制限の効果は、その結果としての、世界のほとんど 全ての地域で生み出されている諸悪徳、両性を脱出しがたい不幸にたえずまきこむ 諸悪徳のうちに、きわめて顕著に見られるであろう。」 (『人口論』54頁)
かくして積極的制限も予防的制限もいずれも決して望ましいものではない。 「人口の優勢な力は、不幸あるいは悪徳を生み出さないでは制限されない」(36頁)と いうことになる。

マルサスは予防的制限から次のように人口は変動すると考えた。 困窮の時期には結婚に対する障害が大きくなるので出生率は低下し、 また賃金も低下する。 その結果、農業者には安価となった労働を雇用するインセンティブが生まれ、 耕作地を増大させる。 こうして食料は増加し、労働者の生活水準は上昇する。 その結果、制限は緩和され出生率は高まる。 かくして、人口は増加する時期と停滞(あるいは減少)する時期とが 交互に繰り返され(32頁)、波動(oscilation)が生まれるとした。

■道徳的抑制
不幸や悪徳が必然であるとするマルサスの社会観には多くの批判が向けられた。 そのために、『人口論』第2版(1803)から新たな制限として 「道徳的抑制 moral restraint」を導入した。

「予防的制限のうち不規則な(irregular)満足を伴わないものを、道徳的抑制と 名づけてもよいだろう」(2nd ed.,p.11)。
「道徳的抑制によって、慎重の動機から出た結婚の抑制と その期間中に厳密に道徳的な行動をとることを意味する」(3rd ed.,p.19)
言うまでもなく、道徳的抑制こそ望ましい制限である。 ただし、道徳的抑制が十分に広まる可能性について、マルサスは必ずしも明るい展望を いだくことはなかった。
マルサスを批判するの陣営からは、道徳的抑制を導入したことをもって、 「情念不変論を放棄したことになるからゴドウィン批判に失敗した」 とする受け止め方が生まれた。 しかし、後に見るように道徳的抑制を実行させるためには、私有財産制や結婚制度が 必要であると考えているから、ゴドウィンとの距離が大きく変化したわけではない。

■神学と人口原理
牧師でもあったマルサスは、キリスト教の大枠の中で人口原理を考察していた。マルサスにとって人口原理は神が与えた法則であり、文明の進歩を説明する原理でもあった。初版『人口論』の最終2章は人口原理の神学的意味の解明に当てられている。この世に悪が存在することと神の存在とを整合的に説明しようとする議論のことを「弁神論」と言う。最終2章は経済学的観点からの弁神論となっている。

「神は人口が食糧よりもはるかに速く増加すべきことを命じた。この一般法則は、疑 いもなく多くの部分的害悪を生み出すが、ほんのわずかな考察だけで、おそらくわれ わはそれをはるかに越える利益をも生み出すことを納得できるであろう。強い刺激が 活動を生むのに必要だと思われる。」(206頁)

食料を上回る人口の増加があるからこそ、勤勉の精神が育ち、窮乏を免れるために知性を向上させてきたのである。もし「人口と食糧とが同じ比率で増大したとすれば、 人間はおそらく未開状態から脱しなかったであろう」(207頁)とマルサスは主張している。

「害悪が世界に存在するのは、絶望を生むためではなく、活動を生むためである。われわれは、それに忍従すべきではなく、それを避けることに努めるべきである。自分自身および影響をおよぼすことのできる範囲から、害悪を除去することに最大限の努力をつくすことは、すべての個人の利益だけでなく、義務でもあり、そして彼がこの義務を遂行する程度、努力をかたむける賢明さの程度、これらの努力が成功する程度が、大きければ大きいほど、それだけ自己自身の精神をおそらく改善し、高めるであろうし、またそれだけ完全に、創造者の意志を実行するように思われる。」(222頁)

18世紀末から19世紀にかけては、地質学や生物学などの自然科学において、旧来のキリスト教の教義と矛盾するかのような知見が数多く提出されていた。こうした状況の中で、教義を時代遅れのものと捨て去るのではなく、新しい学問的な知見と神学が整合することを主張する学者が活躍した。こうした学者は神のデザインを自然現象の中に見出そうとする方向で研究を行っていった。

同じ問題は商業社会を擁護する経済学においても問われていた。すなわち、商業社会は慈善(charity)の精神を破壊し、利己心を増長させる社会で、キリスト教の道徳から見ると望ましくないという議論である。マルサスはこうした議論に対して、キリスト教の教義と商業社会のあり方とが、さらには経済学とが矛盾しないことを示したことになる。

私有財産・結婚制度の擁護

マルサスはゴドウィンの平等社会は自壊し、 私有財産制度と結婚制度は必然的に生まれるであろうし、 私有財産と結婚制度がある社会では、子供の扶養コストは両親が負担しなければならない。 その結果、子供を扶養する経済力が生まれるまでは結婚を延期せざるをえなくなる。 こうして、これらの制度が人口抑制の動機を生み出すことを肯定的に評価した。

「既存の財産制度がなければ、全ての人間は自分のわずかな貯えを力で防衛せざるをえない であろう。利己心は勝利するであろう。争いの主題は永久に存続するであろう。」 (『人口論』112頁)
「結婚の制度、あるいは少なくとも、全ての人間にとって自分自身の子供を扶養すべき 明示あるいは暗黙の義務の制度は、われわれが想定した諸困難のもとにある社会においては、 自然な推論の結果である。」 (『人口論』122頁)
マルサスは、これらの制度の帰結が不平等を必然化することを認めている(124頁)。 この点ではスミスと同様である。 しかし、スミスが論じた富裕の一般化論をマルサスは批判した。

スミス批判

スミスが国富の増大と下層階級の富裕化とを同一視していることを批判した。

「一国の富を増大させる傾向のある諸原因はまた、一般的に言えば、下層諸階級の 人々の幸福を増大させる傾向があることも、私は承知している。しかし、アダム・ スミスはこの二つの研究を実際以上に密接に関連するものと考え、少なくとも社会 の富が増大しても、労働する人々の安楽を増大させる傾向を全くもたない事例にふ れることをやめてしまった。」(『人口論』176頁)

マルサスの考えでは、工業製品の生産が増大しても、食料の生産が増大しなければ、 労働者の状態を改善することにはならない。 蓄積の結果、工業部門が成長したとしても、それが農業部門からの労働者の吸引を引き起こし、 食料生産をかえって減少させる可能性さえある。 蓄積によって仮に労働者の貨幣賃金が増大したとしても、 食料価格の騰貴をもたらすだけに終わるかもしれない。 もちろん、食料価格の騰貴は、農業部面での投資を増大させることになる。 マルサスもそれを肯定するが、しかし資本が移動するのに時間がかかると反論する。

「食料価格の騰貴によって、ただちに若干の追加資本が農業に振り向けられるから、 私が想定したような事態は起こらないと言われるかもしれない。 しかし、それはきわめてゆっくりとしか起こらない。 なぜなら、注意すべきことに、労働の価格の騰貴が、食料の騰貴に先行したのである。 それゆえ、そう〔労働の価格の騰貴〕でなければ、土地の生産物の増加した価値が もたらす農業上の良い効果を妨げるであろう。」(『人口論』179頁)
マルサスは産業革命期に発生した貧困問題の原因を、農業を上回る急速な工業の成長に 見出したのである。

救貧法批判

19世紀末(1795年)にスピーナムランド制度と呼ばれる制度がイングランドで広まる。スピーナムランド制度は賃金がある水準を下回った場合に、救貧税によって賃金補助を行う制度のことである。今風に言えば、地方自治体による公的扶助ということになる。この制度が実施されたために、中小の地主たちは救貧税の負担増大に対して不満を抱くようになる。『人口論』初版の主要な目的はゴドウィン批判であったが、第2版以後は救貧法批判が主要な目的となっていく。マルサスの救貧法批判は、社会制度を改良しても害悪はなくならないとする議論の系論と言えよう。

マルサスの救貧法批判のポイントは、労働者に給付を行うと予防的制限(あるいは道徳的制限)のインセンティヴが破壊されること、また給付を受けることで労働者の勤勉の精神が破壊されることにあった。

「その〔救貧法の〕第1の明白な傾向は、人口を扶養すべき食物を増加することなく、 人口を増大させることである。貧民は、教区の扶助なしには家族を養っていける 見込みがほとんどあるいは全くないのに結婚する。 したがって、救貧法は貧民を創りだして、それを扶養しているといえよう。」 (『人口6』417頁)
「イングランドにとって幸いなことに、独立の精神はまだ農民層の間に残っている。 救貧法はこの精神を根絶する強い傾向を持っている。」(『人口6』418頁)

マルサスは一定の周知期間を得た後に、救貧法を廃止すべきであると提言した。 人口原理をベースにしたマルサスの救貧法批判は、 救貧法改正運動の中で多いに利用されていくことになる。 1834年に救貧法は改正され、院外給付は厳しく制限されていく。 マルサスは政府が直接貧困問題を解決することは不可能であると見ていたが、 教育制度を整備することで、将来を配慮できる人間の育成を通じて、 道徳的抑制を普及させる条件を整えることは可能であると考えていた。