これに対して、プロテスタンティズムは貧しいことを否定的に捉えることで、 カトリックの貧民観・慈善観を一変させた。 なぜならば、プロテスタンティズムによれば貧しいことは怠惰の帰結であり、 神の救済から見放されている証拠となったからである。 そして、慈善は怠惰を助長させるものとして非難されるものとなった。
【補足】最近の研究によると、宗教改革以前からこのような新しい貧困観は広まりつつあった。 それゆえ正確に言えば、プロテスタンティズムは新しい貧困観を宗教的に容認する役割を果たしたということになる。
イギリスでは人口の増大によって、共同体の内部で生活できなくなった貧民は、 荒野に小屋を建てて住みつきはじめた。 それゆえ「小屋住み農(コッテジ)」と呼ばれた。 彼らは農繁期には季節労働者として雇われることもあったが、 おんぼろの小屋の周りに菜園を営んだり、狩猟で生活を維持していた。 また浮浪者としてロンドンなどの都市に多量に流入していた。 彼らは窃盗や物乞いで生活していた。 正確な統計はないが、少なくとも都市で20%、農村で10%ほどが自立的な生活を営めない 状態を強いられていたという。
増大しつつあるこうした浮浪者化した貧民たちへの対処として生まれたのが、 1601年に制定されたエリザベス救貧法である。 この救貧法は宗教改革の産物でもある。 というのは、宗教改革によって貧民の救済機関であった修道院は破壊され、 またプロテスタンティズムによって貧民救済が魂の救済と無関係となったために、 行政的な問題として貧民問題に対処する必要が出てきたからである (宗教による処理から行政による処理への転化)。 救貧法の目的は、怠惰な貧民を訓練して仕事につかせることにあった。 しかし、もともと共同体内で仕事にありつけないから浮浪者化したのであるから、 救貧法は貧民の抜本的な解消になりえなかった。 とはいえ、いくどか修正されながらも、エリザベス救貧法の根幹は 1834年の救貧法改正まで続いたのである。