人物ガイド

Duke と表示のあるものはDuke大学のポートレイトを、 Marxist とあるのはMarxists Internet Archive 利用させていただきました。


プラトン(BC.427-BC.347) www.stenudd.com より
アテネで活躍した哲学者。 真理は人間が決定する相対的なものではなく、絶対的で不変なものであるとするイデア論を展開した。そこには、ペロポネソス戦争の後、師であるソクラテスが民主派の裁判によって処刑されるという経験が影を落としている。プラトンにとって民主主義は容易に衆愚政治へと堕落する政治形態であった。主著『ソクラテスの弁明』、『国家』。


アリストテレス(BC.384-BC.322) www.stenudd.com より
プラトンに学ぶ。マケドニアのアレクサンドロス大王の教育係を務めた。アリストテレスの残した学問体系は狭義の哲学にとどまらず、政治・倫理・経済・生物学・弁論術にまで及ぶ。今日に到るまでヨーロッパの思想に多大な影響を残している。主著『ニコマコス倫理学』、『政治学』。


トマス・アクィナス(1225?-1274) www.sciencemusings.com より
ナポリ出身の中世最大の神学者(スコラ哲学者)。 ドミニコ会の修道士。パリ大学で教鞭をとったこともある。 主著『神学大全』が与えた影響は計り知れないほど大きく、今日までおよぶ。 理性と信仰の調和を追及し、 中世キリスト教の枠内でヒューマニズムを樹立したと評価される。


マキャヴェリ(1469-1527) Marxists
ルネサンス期の政治思想家。 本業はフィエレンツェの役人。マキャヴェリズムの名称で知られる。 ある時は国家権力の弁護者と、またある時は自由の擁護者と解釈された。 近代社会の成立を要件を根源から問い直そうとした政治思想家である。 主著『君主論』。


ホッブズ(1588-1679) www.d.umn.edu より
ピューリタン革命期に活躍したイギリスの政治思想家。 スペイン無敵艦隊の襲来の噂に怯えた母親が早産したと伝えられている。オクスフォード大学で学ぶ。絶対王政を支持していたために、ピューリタン革命期には10年ほどパリに亡命していた。王政復古後はチャールズ2世の恩顧を受けた。主著『リヴァイアサン』(1651)。


デヴィッド・ヒューム(1771-1776) Duke
スコットランドで活躍した在野の学者。 哲学史上ではイギリス経験論の頂点に位置する人物。 スミスとも親しかった。 ヒュームは無神論者のレッテルを貼られて大学にポストを得ることができなかった。 しかし、実際には自然神学の立場であったとされている。 ヒュームの社会思想には保守と革新の両面があり、19世紀の半ばごろまでは保守的な歴史家と位置づけられていたが、それ以降はむしろ革新的な歴史思想家と見なされることが多い。


ジェームズ・スチュアート(1713-1780) Marxists
スコットランド生まれの経済学者。ジャコバイトの乱に巻き込まれ、長い間大陸で亡命生活を送った。 生没年はアダム・スミスとちょうど10年ずれており、主著『経済学原理』はスミスの『国富論』に9年先行する。スチュアートは「最後の重商主義者」と呼ばれることもある。『経済学原理』の半分ぐらいは貨幣や信用の議論に充てられている。貨幣的経済学を代表する論者といえる。スミスは名前こそあげなかったが、スチュアート批判を意識して『国富論』を書いている。


コルベール(1619-1683) Duke
フランスの政治家。1665年から財務長官となり、ギルド制度の再編、工業育成、保護関税などの重商主義政策を展開した。多数の王立マニュファクチュールを創設したり、海軍力を強化して植民地獲得に乗り出した。彼が行った政策はコルベール主義と総称される。彼の政策はルイ14世時代のフランスの繁栄に寄与するところも大きかったが、工業育成のために農村を荒廃させるという弊害を残し、後に重農主義に批判されていく。コルベールは人口調査の熱心な推進者でもあった。


フランソワ・ケネー(1694-1774) Duke
ベルサイユ宮殿の中2階に部屋を与えれられていた宮廷侍医。 外科の地位を高めたことで、医学史にも登場する。 地方の封建的な性格の強い地主たちや特権を有する閣僚たちに対抗して、 国王を中心とした近代化を押し進めようとした改革派の理論的支柱がケネーであった。 とはいえ、彼が作成した「経済表」は当時の人間には難解で、あまり理解されなかったようである。


アダム・スミス(1723-1790) Duke
スミスはイギリス北部のスコットランドで活躍した。 主著『国富論』(別名『諸国民の富』)は、理論・政策・歴史を統一した著作であり、 経済理論を最初に体系的に統一した書物である。 スミスは近代人の利己心を経済的行為の動機として承認し、 利己心のもとに諸個人が活動しても、公共の福祉が増進することを説明した。 資本主義的な生産と分配は自然に調和を生み出すというのがスミスの基本的な考え方である。 このような思想を表現するものとして、「〔神の〕見えざる手」というスミスの言葉が有名である。 しかし、この言葉は『国富論』中で一度しか使われていない。 他に『道徳感情論』などを著した。



マルサス(1766-1834) Duke
イギリス最初の経済学の教授職についた人物。私の研究対象でもある。 マルクスと名前は似ているが、全くの別人。 マルクスはマルサスの主著『人口論』をボロクソに批判した。 また、ケインズと似通った発想に立つ『経済学原理』という書物も書いた。


リカードウ(1772-1823) Duke
古典派経済学を確立した経済学者。 株の仲買人として大もうけし、片手間に経済学の研究も行った。 階級間での分配問題を焦点にした『経済学原理』(1817)という体系的書物が主著。 数式こそ登場しないが、きわめて緻密な理論構成はその時代としては異色であり、 「宇宙人のようだ」と評された。 分配論はマルクスなどに継承され、貿易を扱った比較生産費説は今日のミクロ経済学 に継承されている。


セー(1767-1832) Duke
フランスの経済学者。 フランス革命中は雑誌の編纂を行い、ナポレオン政府では法制委員となるが、 ナポレオンと対立して辞職する。 スミスの『国富論』を発展させ、生産・分配・消費の3分法による体系を作った。 効用価値論の展開は、現在の価値学説の先駆とも言える。 彼の名は「セー法則」として今日でも知られているが、書簡では蓄蔵貨幣を認めており、 商品の供給過剰が起きることも理解していた。


リスト(1789-1846) Duke
ロイトリンゲンに生まれ、チュービンゲン大学で教鞭をとる。議員に選出されるが急進的な言動を理由にアメリカに追放される。アメリカ亡命中にアメリカ・システム(体制)学派の礎をつくり、ドイツに戻ってからはドイツ歴史学派の創始者として活躍した。後発資本主義国の立場から、イギリスの主張する自由貿易体制を批判し、国内の産業育成と国内市場の発展を追求した。ドイツの鉄道建設にも大いに貢献するが、リストの政策に反対するものも多かった。ピストル自殺で最後を遂げる。


ロッシャー(1817-1894) Duke
旧歴史学派を代表する経済学者。 ハノーヴァーに生まれ、ベルリンで歴史学・政治学を学ぶ。ゲッティンゲン大学、ライプツィヒ大学で歴史学・国家学(経済学)を講義する。経済学を国民経済の進化の法則を探求する学問と位置づけた。主著は『国民経済の体系』(1854-1894)。


シュモラー(1839-1917) Duke
新歴史学派を代表する経済学者。 ハイルブロンに生まれ、チュービンゲン大学で学ぶ。官吏時代には自由貿易を擁護する小冊子を刊行したりしたが、後に古典派の自由主義に批判的になる。経済学に倫理的価値判断を導入する必要を説き、そこから社会政策の必要性を導出した。1872年に結成された社会政策学会を指導した。


オウエン(1771-1858) Duke
イギリス初期社会主義者の一人。ニュー・ラナーク紡績工場の経営の経験をもとに、共同社会を構想する。工場法、工場福利厚生施設、幼稚園、労働者教育等々、様々な実験的な試みに着手した。その思想の一部は生活協同組合として今日にまで及んでいる。エンゲルスにより「空想的社会主義」なる蔑称を与えられてはいるが、新しい共同体を具体的に構想している点は高く評価しなければならない。生産力の上昇がもたらす矛盾を感知しながらも、資本主義社会の問題点についての経済学的な分析についてはやや見劣りするところがある。


ヘーゲル(1770-1831) Marxists
ドイツの哲学者。 世界は絶対精神(=神)の自己展開であるという前提から、 ドイツ観念論の集大成とも呼ぶべき、歴史・法律・自然科学などの体系を打ち建てた。 要するに、人間や自然は神が作った操り人形のようなもので、 神は自らが作った脚本にしたがって世界が演じていくのを眺めることで、 神自らを認識する(=神と世界の一体化の完成)というストーリー。 後進国ドイツの田舎者コンプレックスから、でっかい話を産み出したという感もある。 今日から見ると荒唐無稽なところもあるが、よく練られた議論を展開している。 主著『精神現象学』、『法哲学』。


フォイエルバッハ(1804-1872) Marxists
ドイツの哲学者。主著『将来の哲学の根本命題』。 ヘーゲル哲学の研究からその批判へと進む。 もし、宇宙人が『聖書』を読んだならば、 宇宙人はそこから「神とは何か」を学ぶのではなく、 「人間とは何か」を学ぶはずである、と論じた。 ここから「神学の秘密は人間学」であるという名言を残した。 要するに、ヘーゲルにおいて神が占めていた地位を人間に置き換えたことになる。 哲学から神を追放して、マルクスなどの唯物論への道を開いたことになるが、 「人間とは何かを知るためには、人を人たらしめている社会を知る必要がある」と マルクスから批判されることになる。


マルクス(1818-1883) Marxists
マルクスは現在のドイツ南部で生まれる。 経済学者、哲学者、革命家また浪費家としても有名。 ヘーゲル哲学の批判的研究から出発し、資本主義社会を理解するためには、 経済構造を解明する必要があることを悟り、経済学の研究を開始する。
危険人物としてマークされ、ヨーロッパを転々とし、最終的にはイギリスに落ち着く。 盟友エンゲルスのすねをかじりながら、 主著『資本論』を執筆した(第1巻1867、第2、3巻はマルクスの遺稿をもとに エンゲルスが編集したもの)。 現在の経済学や思想、そしてちょっと前までの世界体制に多大な影響ならびに悪影響を与えた。 他の著作として『経済学批判』、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』や、 エンゲルスとの共著『ドイツ・イデオロギー』、『共産党宣言』がある。 いずれも読んでみないと分からないくらい面白いジョークに満ちている。



エンゲルス(1820-95)http://www.econ.duke.edu/Economists/
ドイツの裕福な紡績業者のドラ息子。 若い頃のマルクスに理論的な影響を与えた。 ロンドンに亡命後、マンチェスターで父親所有の紡績工場を経営することで、 ちゃっかり労働者を搾取しながら、マルクスを経済的に援助した。 難解なマルクスの思想を教科書的に整理し直すことで、その普及に大きく貢献した。 軍事史研究のオタクでもあった。


ヒルファディング(1877-1941) Marxists
ウィーン生まれ、ドイツで活躍。1910年に主著『金融資本論』を著す。1923年、1928-29年にSPD政権下で大蔵大臣を務め、レンテンマルクの発行によって第一次大戦後のインフレーションの収束をはかる。ヒトラーの権力掌握後に亡命し、国外からナチスを批判しつづける。同時に、旧ソ連がスターリン独裁体制に他ならないことも批判していた。晩年のヒルファディングは硬直的な唯物史観の枠を超えて、20世紀の社会は経済よりも、国家や政治の役割が重要となることを主張した。1941年逮捕され、パリの監獄で死去する。


レーニン(1870-1924) Marxists
教育者の子としてウリヤノフスクに生まれる。1887年に、傾倒していた兄はアレクサンドル3世の暗殺事件に連座して刑死した。自らも政治運動のために、投獄され、シベリア送りとなる。レーニンは当初、ロシアには農奴制が残存しながらも、西ヨーロッパ同様に資本主義の発展した社会であると考えていたが、後にきわめて遅れた経済発展段階にとどまっていると考えを改めるようになる。第一次大戦中はスイスからロシア共産党を指導し、大戦末期に、「封印列車」でロシアに帰国。1917年、11月〔10月〕革命を成功させ、ソヴィエト労農臨時政府の人民委員会議長に選出される。1919年コミンテルンを創設。


ジェヴォンズ(1835-1882) Marxists
リヴァプール生まれ。限界効用理論の確立者の一人。ロンドン大学で数学、化学、冶金学を学ぶ。シドニーの造幣局に勤務した後、大学に戻り経済学の研究に着手する。1866年マンチェスター大学の論理学、経済学の教授となる。水泳中に溺死した。太陽黒点説や物価指数の研究も有名。


マーシャル(1842-1924)
ケンブリッジ大学で数学を学び、同カレッジのフェローとなる。形而上学や倫理学を研究した後に、経済学の研究を行う。1885年ケンブリッジ大学の経済学教授となり、ケンブリッジ学派の創設者となる。1890年に経済学の標準的な教科書の地位を占めることとなる『経済学原理』を刊行し、新古典派経済学を体系化させた。そこで考案された多くの概念は今日でも使われている。ピグーやケインズといった門下生を輩出した。『産業と商業』1919年、『貨幣・信用および貿易』1923年。


ピグー(1877-1959) http://cepa.newschool.edu/~het/ より
イギリスのケンブリッジ大学でマーシャルについて経済学を学ぶ。 主著『厚生経済学』(1920)の名称は、「厚生経済学」という経済学の一分野の名称となった。経済学の研究目的は経済的厚生を増大させる手段の発見であるとして、理論のための理論の追求をよしとしなかった。大恐慌に際して、失業の説明に失敗したとして、ケインズから厳しく批判される。


ケインズ(1883-1946) www.galtoninstitute.org.uk より
イギリスのケンブリッジ大学で経済学を学ぶ。 主著『雇用・利子および貨幣の一般理論』において、 当時の標準的な理論であったマーシャル経済学(新古典派)を批判し、 政府や中央銀行による不況対策が可能であることを理論的に説明した。 今日の財政政策や金融政策に多大な影響を与えている。 経済学者の多くは理論ばかりで役に立たないが、 ケインズは珍しく株式投機で大もうけしており、 経済的センスの良さには定評がある。


ウェーバー(1864-1920) cepa.newschool.edu/het/profiles/より
ドイツの新歴史学派と呼ばれる学派に属する経済学者。社会学者でもある。主著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1905)において、禁欲というプロテスタントの倫理が、近代資本主義を誕生させたと論じた。今日でも、経済史の領域において圧倒的な影響力を持っている。その著作には古今東西様々なものが詰め込まれており、まさに天こ盛りだ。


レオンチェフ(1906-1999) www.lancs.ac.uk/staff/ecagrs/gallery.htmより
ロシア生まれでアメリカで活躍した経済学者。 産業連関表を考案したことでノーベル経済学賞を受賞した。 このアイディアは経済理論ばかりでなく、 今日使われている経済統計にも活用されている。 大物でありながら、晩年になっても、軍事支出が及ぼす 経済成長へのマイナス効果といった地味な研究を続けた稀有な存在である。

ノーベル経済学賞受賞者の一覧とインタヴューなどは→ noberprize.org