新古典派の経済思想 続き

限界革命
1870年に時をほぼ同じくして、ジェヴォンズ、メンガー(1840-1921)、ワルラス(1834-1910)が限界概念を用いて、経済理論の新しい体系化を試みた。この偶然の一致を「限界革命」と呼ぶ。

■限界概念
「限界(marginal)」というのは、 「独立変数の増加に対して、従属変数がどれだけ増えるか」という意味である。 ミクロ経済学の中では、「限界」を冠した「限界効用」、「限界費用」、「限界生産力」、「限界収入」など数多くの基本概念によって体系が組み立てられている。

y=f(x) という関数において、 xを凾だけ増加させると、 y+凾凵≠(x+凾) となる。 凾凵^凾が「限界」の意味。 この関数が微分可能であれば、微分係数が「限界」になる。

ジェヴォンズ
限界革命を担ったイギリスのジェヴォンズをとり上げて、「限界」概念がどのように理論を一新させたかを見ていくことにしよう。

ジェヴォンズ:1835-1882。リヴァプール生まれ。 家業の倒産のために、学業半ばでオーストラリアの造幣局に赴任。 1871年『経済の理論』を著す。太陽黒点説でも知られる。
18世紀末から19世紀はじめにかけて活躍したベンサムは、快楽と苦痛の比較考量にもとづく功利主義思想を展開した。功利主義はジェヴォンズの思想的源泉の一つである。彼が「効用 utility」(=「功利」)から商品の価値や労働供給を考えたのも功利主義の影響である。他方、エンジニアであったジェヴォンズは、ニュートンに代表される古典力学を模範として、経済学も自然科学にように数理的な学問として精緻化されることが可能であると考えていた。ジェヴォンズは経済学を「快楽および苦痛の微積分学」と呼んだが、そこには彼の思想的源泉がよく表れている。
「快楽および苦痛は、疑いもなく経済の計算の究極的な目標である。最少の努力をもってわれわれの欲望を最大限に満たすこと−最も多くの望ましいものを、最も少ない望ましくないものと引き換えに取得すること−言い換えれば、快楽を極大にさせることが経済学の問題である。」(第3章)

限界効用
ジェヴォンズは商品から得られる効用を最大化するように消費者は行動すると考えた。 ここで重要なのが「限界効用(度)逓減」という考え方である。 夏の暑い日に飲む生ビールはたいへんうまい。 とはいえ、2杯目のうまさは1杯目ほどの感激を伴わないであろう。 3杯目ともなるとそのうまさはだいぶ減るにちがいない。

ジェボンズは「限界 marginal 」ではなく、「最終 final 」という用語を用いたが、 ここでは「限界」と訳しておく。
これを1本づつの棒グラフで表そう。 横軸にはビールの消費量をとり、 棒グラフの面積でビール1杯から生まれる「効用」を表すようにしよう。 1杯目は高さの高い棒グラフに、2杯目はそれより高さの低い棒グラフに、 3杯目はもっと低い棒グラフと書ける。 この棒グラフの高さが「効用度」と呼ばれるものである。 そして最後のグラフの高さを「限界効用度」と呼ぶ。 このように消費量の増加につれて、効用度が低下していくことを 限界効用逓減の法則と呼ぶ。 そして最後の1単位の消費から得られる効用を限界効用と呼ぶ。
「uをして〔財貨の量〕xの消費から得られる全部効用を示すとする。……du/dx はx量の財貨に対する効用度である。数学用語をもってすれば、効用度はxの関数と考えられたuの微分係数である」(第3章)
「最終効用度は、経済学の理論の軸であることが見出されるであろう関数である。経済学者らは一般的に、この関数と全部効用との区別を誤った。この混同から多くの困惑がおこった。……われわれは水がないと生活出来ないが、水にほとんど価値を置かない。それはなぜか?われわれは通常、最終効用度がほぼ0になるほど多くの水を持っているからである。」(水とダイヤモンドのパラドックス)
厳密に言えば、消費量は連続的に変化する。 それにともなって効用度も連続的に変化するとしよう。 そうすれば曲線のグラフとなる。 効用をUとし、消費量をxとすれば、効用度はUをxで微分した、  dU/dx と表すことができる。 それぞれの消費量ごとに効用度が決まる関数が与えられれば、 それを積分してやることで効用を算出することができる。 ジェヴォンズが経済学を「快楽と苦痛の微積分学」と呼んだ所以である。 なお、ミクロ経済学の教科書によっては、効用度と効用を区別していない場合がある。

交換理論
ジェヴォンズは肉を持つ商品所持者と穀物を持つ商品所持者とがどのように 商品を交換し合うかを限界効用を用いて説明した。 (1)肉所持者の肉と穀物についての限界効用度のグラフを書いてみる。 いずれのグラフも右下がりのグラフとなる(左端が所持量がゼロに近いから限界効用が高くなる)。 (2)次にある交換比率が与えられたとして、その比率に合うように横軸の縮尺を変えてみる。 (3)肉のグラフの上に、左右を逆にした穀物のグラフを重ねる。 そうすると、途中で交差するX型のグラフが書ける。 (4)交換の始まる前が一番右端である。 交点よりも右側だと肉の限界効用よりも穀物の限界効用が高い。 だから、もっと肉を手放して穀物を得た方が良い。 なぜならば、交換に手放す肉の効用(すなわち失う効用)よりも、 交換で得る穀物の効用(得る効用)の方が大きいからである。 交点の左側だと、失う効用の方が大きいから、交換が行き過ぎることになる。 よって、このグラフの交点が効用を最大化させる点である。 この交換比率のもとでは肉所持者はこの交点のところで交換に応ずるのがベストである。

さて、(2)の作業の意味を考えてみよう。 与えられた交換比率の時に、横軸の幅によって交換で受け取る量と渡す量とが 示されている。 ここに価格を入れて考えよう。 横軸の幅は同じ金額で買える穀物と肉の量を意味することになる。 交点のところで最小の横幅、これを1円分とするならば、 この1円分の幅の肉と穀物の効用は一致する。 だから、交換に応じるのは「価格1単位あたりの各財の限界効用が等しい」 ところということになる。

上の説明ではある交換比率が前提されていた。 それゆえ、ジェヴォンズは交換比率の決定を説明できていないとする批判がある。 確かに、ジェヴォンズの説明はやや不十分である。 グラフに加えてジェヴォンズが行っている代数的な説明に即して敷衍するならば、 ジェボンズの議論を交換比率決定論にするためには、次のような操作が必要になるであろう。 交換比率を変化させていき、交点の位置が異なるグラフを二人の商品所持者について 沢山書いてみる。 そして、相互に手渡す量が一致したグラフにより商品の交換比率が決定される、 ということになる。 ここまでくると後のエッジワースと同じような議論ということになる。
ジェヴォンズは交換の利益をもって自由貿易擁護論まで展開した。
「誰でも購入から利益を期待できないかぎりは、物を買うことはない。したがって、交換の完全な自由は効用を極大にさせる方法なのである。……関税は収入を増加させる手段としては必要かもしれないが、経済学者とあろうものは、関税をもって貿易調節の手段として、または効用を増加させる交換の自然的傾向に対する干渉手段として、関税に少しでも賛成する時代は終わったのである。」(第4章)

労働理論
農場で働く労働者を考えてみよう。 生産物はそのまま労働者が獲得できるとする。 労働者は生産物から得られる効用と、 労働からの苦痛(マイナスの効用)とを比較して 効用−苦痛 を最大化させるように 働くことになる。

横軸に労働時間をとり、縦軸のプラス部分に生産物からの効用を、 そしてマイナス部分に労働からの苦痛を計ることにしよう。 生産関数 Q=f(t), 効用関数 U=g(q) とすれば、 労働と効用との関係は次のような、合成関数で決まることになる。 U=g(f(t))  [労働時間(t)→生産物量(q)→効用(u)] 生産関数が収穫逓減であるとすれば、限界効用逓減であるから、 このグラフは明らかに右下がりとなる。

労働からの苦痛(限界負効用)は、労働時間が増大すれば次第に増大する であろう。 例えば、最初の1時間の苦痛よりも、10時間働いた後の1時間の苦痛の方が 常識的に考えればはるかに大きいといえそうだ。 よって、このグラフも右下がりとなる。

苦痛よりも効用が大きい間は労働時間を増大させていく方が効用は大きくなる。 苦痛と効用との大きさが等しくなる時間(絶対値が等しいという意味)を越えると、 苦痛の増大の方が大きくなるから、等しくなる時間で労働するのが合理的である。

「労働が延長されるにしたがって、努力は原則として次第に苦痛になる。……肉体の精力が消耗するにつれて、仕事を続けることが辛くなり、精力の枯渇が近づくと継続的努力はますます耐える難くなる。」(第5章)
「dl/dt = du/dx * dx/dt......経済学の他の方程式と同様に、全ては最終増量に関る。上記の公式は労働と効用との最終的な均等を示したのである。」(第5章)
ここで示したモデルは、 自分で生産したものを自分で消費するモデルであるから、 資本主義社会の労働市場における労働供給モデルにはなっていない。 ジェヴォンズの議論は限界概念の有効性を説こうとするあまり、 その経済学的な意味合いの考察が不十分である場合が多い。
ジェヴォンズは労働供給量の決定だけではなく、用途別の労働時間の振り分けも論じている。この考え方の延長に、希少資源の配分論という今日の経済学の目的とされているものがあると言えよう。
「経済学の問題は、さまざまな欲求と生産諸力とが与えられ、かつ一定の大きさの土地およびその他の資源を持つ一定数の人口が与えられた場合、生産物の効用を極大にさせるためには、どのように労働を用いるべきか、ということである。」(第8章)

序数的効用その後
温度計によって温度が測定できるようになったのと同じように、やがては効用が客観的に測定可能になるだろうとジェヴォンズは考えていた。こうした素朴な効用の考え方はその後批判されていく。それは二つの角度からの批判であった。第一は、効用の個人間比較の不可能性という批判である。すなわち、異なる人間の効用の大きさは比較できないという批判である。第二は、効用の基数性に対する批判である。基数というのは、例えば水の体積のように2倍とか1.5倍とか示せる量のことである。効用は基数性を持つ量ではなく、序数(順番)的なものであるという批判が生まれたのである。

第一の批判はジェヴォンズ以後に展開されていく「厚生経済学」の根拠を揺るがすものとなっていく。個人間の効用が比較不可能であるとすれば、「富んだ人々と貧しい人々との間の所得移転」といった所得配分の是非が議論できなくなるからである。この点については厚生経済学者ピグーのところで詳しく検討したい。

第二の批判は無差別曲線の導入によって乗り越えられていく。パレート、ヒックスらは限界効用を用いずに、無差別曲線から交換理論を導出することで、「限界効用」概念を用いない、言い方をかえれば、基数的な効用を用いない理論を展開させていく。これが今日にのミクロ経済学の主流の潮流となることは諸君がミクロ経済学で学ぶとおりである。

基数的効用分析序数的効用分析
基本的関数効用関数無差別曲線
基本的概念限界効用限界代替率
基本的法則限界効用逓減の法則限界代替率逓減の法則
効用最大化条件限界効用/価格の均等限界代替率=価格比

基数的効用分析と序数的効用分析は以下のような関係にある。
xは財xの量、yは財yの量、uは効用として、効用関数をu=u(x、y)と表記する。

限界効用は数学的には効用関数を偏微分したものとなる(uが基数的な量として)。無差別曲線のある一点の近傍をとれば、次のような関係にあることは理解できるだろう。この式の右辺がxとyの限界効用の比である。

Δx/Δy=(Δu/Δx)/(Δu/Δy)

要するに、yのxに対する限界代替率=xの限界効用/yの限界効用
限界代替率さえ分かれば、右辺の議論は不必要であるとして、今日のミクロ経済学から限界効用の議論が消滅したのである。