政治から経済へ

「政治社会論」

人間はなぜ社会を形成できるのか?人間をポリス的な動物と把握したアリストテレスならば、おそらく「そもそも社会を形成できる動物が人間である」とでも答えたであろう。トマス・アクィナスならば、その根拠を神の創造の意図から説明したに違いない。

それまで自明な前提として存在していた旧来の道徳や宗教が揺らぎ始めると、この問いは根源的な問題提起となる。近代のはじまりは、宗教や倫理に代えて、社会の存立を説明する新たな議論を必要としたことになる。ここでは、近代のはじまりを告げるルネサンスと市民革命期に活躍した、マキャヴェリとホッブズを取り上げて、政治(統治)による社会の成立という議論をながめておく。仮に両者の議論を「政治社会論」と呼ぶことにしよう。これに対して、市場経済が社会を成立させるとする議論を「市場社会論」と呼ぶことにしよう。自然法思想を媒介にしながら、「政治社会論」はやがて「市場社会論」によって乗り越えられていくことになる。「市場社会論」についてはアダム・スミスのところで検討することにしよう。

マキャヴェリ

■マキャヴェリの時代
ヨーロッパと近東を結んだ地中海交易の中心地イタリアは、中世末期になると商業を発展させる。13世紀から15世紀ごろになるとこのイタリアにおいて人間性を重視する文化運動が起きる。 古代ギリシャ・ローマの単なる反復ではないが、範にしたのが古代ギリシャやローマの思想や芸術であったために、この運動はルネサンス(「再生」という意味)と呼ばれる。中世のキリスト教的人間観・世界観からの解放を求めた運動であった。文学者ダンテ(『神曲』)、ボッカチオ(『デカメロン』)、美術家ダ・ビンチ、ミケランジェロ、ラファエロなどのイタリア人がこの運動の中心的な人物である。

1320年ごろ完成したとされているダンテの『神曲』(『神聖喜劇』)は、大部の叙事詩である。地獄、煉獄、天国の旅行記であるこの叙事詩は宗教的な作品である。とはいえ、自由なルネサンスの時代に書かれた作品であるから、既存の宗教的権威に対しては批判的な描写がある。例えば、地獄に登場する教皇の墓や、聖職売買の罪で罰を与えられている教皇の姿などである。「彼らはみな偉大なそして著名な聖職者たちであることを承知しておくがよい。しかも同一の罪で世界を汚した者たちである。」(第15話)

マキャヴェリ(1469-1527)はルネサンス後期に登場してきた代表的な思想家である。当時のイタリアはフィレンツェやヴェネチア、ナポリ、ローマ教会領などに分裂していた。そしてすでに国家統一を成し遂げていたフランスの脅威にさらされていた。マキャヴェリは「花の都」として繁栄していたフィレンツェで活躍した。フィレンツェは織物工業が発展しており、イタリアの中でも最も発展した共和国であった。フィレンツェは共和制をとっていたが、その実権は代々金融業者を営むメディチ家によって握られていた。

外交上の失敗からメディチ家の支配が動揺し、一時的に反メディチ派の僧侶サヴォナローラが実権を握る。しかし、サヴォナローラが企てた民主制の復興は民主の支持を失い、この「武力なき預言者」は広場で火刑に処せられてしまう(1498)。この処刑から5日後にマキャヴェリはフィレンツェの書記官に任命され、軍制改革や外交にその手腕を発揮していくことになる。

マキャヴェリ:1469-1527。法律家の子供として生まれる。一応、貴族の出であったが、経済的には貧しかった。反メディチ派として投獄されたり、隠棲を余儀なくされたりした。政治家として有能ではあったが、政治の波に翻弄された一生を送った。主著『君主論』は1513年に完成したとされている。他に『政略論(リウィウス論)』などがある。いずれもメディチ家に献呈されている。『君主論』は明治19年に翻訳が登場している。当時の日本では、西洋版『韓非子』として、あるいは暴君に対する民衆への警告の書として読まれたようである。引用は池田廉他訳『君主論』(『世界の名著』中央公論社)による。

『君主論』は強力な独裁者による国家統一の必要を説いたものである。『君主論』は、優れた君主はいかにあるべきか、という当時沢山書かれていた君主教育書の体裁をとっている。しかし、伝統的な倫理や宗教によるのではなく、現実の人間性を前提にした議論となっており、きわめて衝撃的な書物であった。一般に公刊されたのはマキャヴェリの死後、1532年であるが、公刊されるとすぐに全ヨーロッパからマキャヴェリは「人類の敵」、「悪魔」と激しい非難を浴びせられることになる。

■人間観
マキャヴェリ自身の主要な関心は、国家の興亡であって、その後の思想家のように社会がいかに形成されるかについて原理的に考察しているわけではない。だが、その背景には「中世的な束縛から自由になった個人」は、力による統治なしで社会を編成できない、というクールな認識があった。マキャヴェリにとっての人間は、自分の利害のためには恩義や愛情などを捨て去ってしまう存在である。限りを知らない欲望の増大が、人間を邪悪な存在たらしめる原因と見ていた。様々な著作で、人間が「邪悪な存在」であることを繰り返している。だから人間を自由な状態にしておけば、その「悪性」を発揮し、混乱と無秩序をもたらすだけに終わってしまう。

「人間は恐れている者よりも、愛情を感じていたものを容赦なく傷つけるものである。 この理由は、がんらい人は邪悪であるから、たんに恩義の絆でつながれている愛情 などは、自分の利害が絡む機会が起きれば、すぐにでも断ち切ってしまうものだからである。」(17章)
「もし人間がすべて善人であるならば、このような〔信義を守るなという〕勧告は好ましくないであろう。しかし、人間は邪悪で君主に対する信義を守らないのであるから君主もまたそれを守る必要はない。」(18章)

■君主論
彼の名に由来する「マキャヴェリズム」という言葉は、日本語では「権謀術数」の意味で使用される。事実、『君主論』は、恐怖と奸策による統治を君主に薦めている。

「君主は自らの臣民の団結と自らに対する忠誠とを維持するためには残酷だという汚名を気にかけるべきではない。実際あまりにも慈悲深いためかえって混乱状態を招き、 殺戮と略奪とを放置する君主と比較して、彼はきわめて少ない処罰を行うだけであるからより慈悲深いことになろう」(17章)
「現代の経験の教えるところによると、信義などまるで意に介さず、奸策を用いて人々の頭脳を混乱させた君主が、かえって大事業をなしとげている。しかも、結局は、彼らの方が信義にもとづく君主たちを圧倒してきていることがわかる。」(18章)

注意しなければならないのは、マキャヴェリが対象とせざるをえなかった社会と人間の新しいあり方である。それは古代ギリシャや中世の社会ではない。トマス・アクィナスの議論とマキャヴェリ『君主論』を比較した政治学者の佐々木毅は、マキャヴェリの特徴を次のように述べている。

「第三に倫理学は政治学と無縁のものとして現れ、治者に関しても臣民に関しても 統治と倫理的価値との一体性はまったく見られない。 第四に聖トマスにおいて支配問題が一つの政治的共同体を前提にし、 その枠内で考えられていたのに対して、『君主論』ではかかる政治的共同体はまったく 姿を消し、相互になんらの共通項をもたない君主と臣民との関係がすべてとなる」 (佐々木毅『マキアヴェッリ』,175頁)。

人々は何らかの共通の理念や価値観を持つ共同体に属する存在ではない。だからアリストテレスのように、ポリスのために生きることは人々の自明の前提とは言えないのである。当然のことながら、倫理と政治を一体のものとして把握することは不可能となっている。「善く生きる」という倫理的な目的から切り離されて、政治はあくまで人々を統治する(支配する)手段として位置づけられているのである。

とはいえ、中世的な共同体の崩壊をマキャヴェリは悲観的に見ていたのではない。宗教から自由になった人間、言い換えれば、神から自由を与えられた人間を、ルネサンスの思想家マキャヴェリは歓迎している。

「神がなにもかもなさろうとしないのは、ただわれわれから自由な意欲 をとりあげてしまったり、われわれ人間のものであるいささかの光栄をとりあげようとはなさらないからである。」(26章)

「自然の力によって、あるいは超自然の力(宗教)によって、政治秩序を形成していくのではない。共通の目的を失い、利己的でばらばらになった人間が、あくまでも自分自身の力によって、時には、強制的に(暴力的に)政治秩序を、国内でも、対外的にも 形成していかざるをえない」(菊池理夫「マキャヴェリ」、中谷他編『西洋政治思想』所収)。ここに近代的な人間を前提とした、近代的な政治思想の出発点がある。

ここでは権謀術数の側面だけからマキャヴェリをとりあげる。しかし、マキャヴェリにはもう一つの顔がある。徳を重んじる生き方や民主制を擁護した側面である。近年の思想史では後者の側面が重視されている(シヴィック・ヒューマニズム)。興味のあるものはスキナー『マキャベッリ』未来社を参照されたい。

ホッブズ

「市民社会 (civil society)」という言葉は17世紀のイギリスで生まれたものと言われている。この「市民(citizen)」には、第一に「自然」や「野蛮」に対する「文明」という意味が、第二に教会や軍隊に対する「一般人」という意味がある。つまり、「市民社会」には文明社会という意味と、それまでの精神的な支配者であったカトリック教会からの脱却、それまでの政治的な支配者であった領主権力からの脱却という意味が含まれている。市民社会がいかにすれば社会として成立するかを考察した論者として、社会契約論で知られるイギリスのホッブズ(1588-1679)を取り上げておこう。ホッブズはマキャヴェリ的な人間像を前提にしながら、過去と一切無縁の「自然状態」を想定することで社会の成立を原理的に考察しえたのである。

ヘンリー8世による宗教改革(1534年首長令)によって、イギリスはローマ教会から宗教的に独立し、国王を中心とした絶対主義を展開していく。絶対主義はエリザベス女王の時代(16世紀後半)に最盛期を迎えるが、その後、国内にくすぶっていた宗教的対立を原因としてピューリタン革命(1642-60)が勃発する。やがて王政は復古するが、再び名誉革命(1688)が勃発し、王権の力は弱まり、議会の勢力が確立していく。こうしてイギリス絶対主義は崩壊する。ホッブズが活躍したのは動乱のピューリタン革命期である。

ホッブズ:1588-1679。スペイン無敵艦隊の襲来の噂に怯えた母親が早産したと伝えられている。オクスフォード大学で学ぶ。絶対王政を支持していたために、ピューリタン革命期には10年ほどパリに亡命していた。王政復古後はチャールズ2世の恩顧を受けた。無神論者との疑いをかけられ、イギリスでは禁書扱いを受けた。主著『リヴァイアサン』1651。わが国では1883年に部分訳が出版され、国権を擁護する書として読まれた。引用は水田洋訳『リヴァイアサン』岩波文庫。

ホッブズの主著『リヴァイアサン』は社会契約論を説いた書として知られている(ちなみに「社会契約」という言葉は『リヴァイアサン』の中にはない)。『リヴァイアサン』の冒頭で論じられているのは、一見すると政治思想とは無関係のようにも思われる個人の感覚や認識についてである。これは二つの点で注意すべきである。第一に、政治思想の基礎に人間を置いたこと。これは、神から王権が与えれたとする王権神授説に対抗して、人間中心の政治思想を展開したことを意味する。第二に、独立した個人についての徹底した洞察が、社会の問題へと議論を進める前に必要だったことを意味する。

■社会契約
ホッブズの考える人間は、自己保存に有利なことを追求し、そうでないものを嫌悪するという単純な原理によって行動する。各人はもともと自己保存の権利を有するものと想定される。この権利を万人が行使してしまうと、権力がない社会では相互の不信から万人の万人に対する戦争が引き起こされるであろうとホッブズは考える。自然状態(政府が無い状態)は戦争状態なのである。こうしたエゴイスティックな人間像は、マキャヴェリ的な人間像の系譜に位置しているといえる。ここにはピューリタン革命がもたらした悲惨な内戦の経験も影を落としてるのかもしれない。

「全員を恐れさせておく共通の権力が存在しないで生活する間は、人びとはいわゆる戦争という状態、しかも万人の万人に対するような戦争の状態で生きるのである。」(1-210頁)

戦争状態はきわめて各人にとって不合理な状態である。勤労の成果が保障されないから、土地を耕作するインセンティヴはなくなるし、文明的なものは一切なくなるであろう。

「そのような状態においては、勤労のための余地はない。なぜならば、勤労の成果が確実ではないから、したがって土地の耕作は行われないからである。航海も、海路で輸入される諸財貨の使用もなく、便利な建築もなく、移動の道具や多くの力を必要とするものを動かす道具もなく、地表についての知識もなく、時間の計算も学芸も文字も社会もなく、そしてもっと悪いことに、継続的な恐怖と暴力による死の危険があり、それで人間の生活は孤独で貧しく、つらく残忍で短い。」(1-211頁)

自己保全の権利の行使が、権利自身の崩壊をもたらしてしまうのである。そこで戦争状態の原因となる自己保存の権利の行使を停止することが、理性的な判断のもとに行われる。

「人は平和と自己防衛のために必要だと思う限り、他の人々もまたそうである場合には、全てのものに対するこの権利を進んで捨てるべきである。...というのは、各人がなんでも自分の好むことをする権利を保持する限り、そのあいだ全ての人々は戦争状態にあるのだからである。」(1-218頁)

こうして権利の相互的譲渡である、契約が結ばれる。こうして人々は相互の契約によって所有権を獲得することになる。この契約、すなわち所有権を維持するために、強力な国家権力が要請される。国家権力は所有権の侵害者に対する処罰の恐怖を与える機関なのである。ホッブズは正義の根源を所有権の確立に置く。「所有権がなければ何も不正義はなく、強制権力すなわち国家が樹立されていなければ所有はない」(2-237頁)。つまり、正義=所有権、国家が理論的には同時に発生すると考えているのである。国家は個々人に契約を遵守させる契約強制機関として構成されているのである。繰り返しておこう、国家権力は人間があくまで自発的に作り出したものと見なされているのである。

「国家が成立するというのは、多数の人々が各人対各人の関係で次のように同意し信約を結ぶときである。すなわち、彼らの人格を表す(代表となる)権利を多数決によって委ねた一人の人間もしくは人間の集合に対して与えることである。そして、互いに平和に暮らし他人の侵害から保護されるために、この一人の人間もしくは人間の集合体がとったすべての行為や判断がまるで自分自身の行為・判断であるかのように、〔代表選出にあたって〕賛成した人も反対した人もこぞって全員が、それらの行為・判断に対して権威を与えるということである。」(2-36頁)

こうしてホッブズは政府の樹立による社会の形成を説いたのである。社会契約による政府の成立という一種のフィクションによる説明ではあるが、ホッブズは政治(統治・政府)による社会の形成という議論を展開したのである。国家は多人数の人間から構成されるが、あたかも一人の人間であるかのように描写されている。すなわち、「一つの人格の実在的統一」である、と。この人格的担い手を「主権者」と表現し、それ以外の人間を「臣民」と表現している。なお、「主権者」は国王一人の場合も、民主制の場合もあるとホッブズは考えていた。権力は臣民に対して絶対的な地位を占めなければならないと述べている。(これを表したリヴァイアサン→扉絵の図像

「国家の剣に逆らう自由は誰も持っていない。なぜならば、そうした自由は主権者からわれわれを保護する手段を取り去ってしまうからである。...主権者がその権力を根拠に何かを要求したり、取り去ったとしても、これに対して訴訟を提起する道は無い。なぜならば、権力によってなされたものは、すべて臣民が権威を与えたことによってなされたのであり、主権者を訴えることは自分を訴えることになるからである。」(2-100頁)

このように極めて強力な国家をホッブズは擁護する。絶対主義の弁護者と評される所以である。抵抗権(革命権)を擁護した、後の時代のロックとは対照的である。

さて、契約の中身として、所有権以外にそこから派生する、売買、賃貸権、交換、取引に関わる契約をあげている。これらの契約が交わされる中心的な場は、商業活動に関わるものである。しがって、ホッブズの政治思想は商品経済社会を前提として、それを成立させる機関の考察であったといえる。だが、未だその前提となっている経済そのものは考察の対象になっていない。

ホッブズの正義論を整理しておこう。
「正義」:所有権の確立 (国家の樹立とホッブズの理論では同一)
交換的正義:売買、賃貸など取引に関する当事者が契約を履行すること
分配的正義:仲裁者(国家権力)が所有権を確定すること。「各人のものを各人に」。
このような交換的正義の規定はトマスにも見いだせる。しかし、分配的正義はアリストテレスやトマスと大きく異なる。

ホッブズの社会契約論は、名誉革命期にロックの手によって展開されていく。ロックは政治権力の問題だけではなく、経済理論に関連する著述も残している。体系的ではないにせよ、国家権力が維持すべき対象である経済社会の考察が開始されていくのである。