マルクスの経済思想

市場経済批判の潮流

スミスからリカードウへと18世紀末から19世紀半ばにかけて展開していった古典派経済学は、市場経済に自律性を認め、それを肯定的に評価していたと整理できる。もちろん、マルサスのように市場経済の自律性を完全には承認しなかった論者もいたが、マルサスとて私有財産制度を否定して市場経済の廃棄を主張したわけではなかった。

ドイツ歴史学派も後発資本主義国の立場から、古典派経済学を批判したが、それでも市場経済そのものを否定的に評価していたわけではない。ドイツ歴史学派は、国家による市場経済の調整という方向で、市場経済がはらむ問題を乗り越えようとしていたと言えよう。

19世紀の初頭から市場とは異なる共同的な組織による社会を実現しようとする思想が生まれていた。初期社会主義と呼ばれる政治・経済思想である。その内実は多様で、その中でも私有財産を全面的に否定する思想については共産主義と呼ばれることもある。初期社会主義者のうちよく知られているのが、サン・シモン(仏:1760-1825)、フーリエ(仏:1772-1837)、オウエン(英:1771-1858)の3名である。彼らは三大「空想的社会主義者」などと称されている。

「空想的社会主義(ユートピア社会主義)」という名称は、エンゲルス『空想から科学へ』(1880年)において用いられたことで広まったものである。エンゲルスには「空想的社会主義」と名づけることで、それとは区別された、マルクスの「科学的社会主義」の正しさを強調しようとするねらいがあった。しかし、オウエンたちの社会構想は、たとえ失敗に帰したにしても、少なくとも実験的なコミュニティを提示しえるだけの具体性を有していたことを否定すべきではないだろう。彼らは単純な絵空事を夢想していたわけではないのである。これに対して、よく知られているようにマルクスは、社会主義社会の構想を具体的に語ることはなかった。
市場経済を批判したイギリスの経済学者には、「リカードウ派社会主義」と呼ばれる一群の経済学者たちもいた。彼らは資本家の獲得する利潤の源泉を問題にすることで、市場経済が持つ不平等性を批判しようとした。つまり、生産力の上昇してもその恩恵は利潤として資本家が取得してしまうために、労働者は貧しいままにとどまっているという議論である。こうした主張は後にマルクスによって、相対的剰余価値論として精緻化されていくことになる。リカードウ派社会主義者たちの多くは、労働組合によって労働者の賃金の上昇を図るべき、あるいは生産協同体を形成すべきといった提案を行っている。
「リカードウ派社会主義者」は、フォクスウェル(A.メンガー『労働全収権論』の英訳者)によって付けられた名称である(1899年)。オウエンとは異なる系譜で生まれた社会主義者であることを強調するために、「リカードウ派社会主義」という名称を与えた。確かに、彼らの著作の特徴として、オウエンよりも経済学的な分析が詳しいことをあげることができる。しかし、必ずしもリカードウ経済学の批判的摂取から生まれたとは言いにくいし、オウエン主義者の要素(組合主義など)も多分に含んでいる。それゆえ、誤解を与えかねない名称と言うべきだろう。わが国では広く流通している呼称であるが、欧米では必ずしも一般的に普及している名称とは言えない。

ロバート・オウエン

ロバート・オウエン(1771-1858):ウェールズ生まれ。ロンドンの店員から身を起こし、マンチェスターの工場支配人として成功する。1798年からスコットランドのニュー・ラナークでイギリスでも最大規模に属する綿紡績工場(工員2000人以上)を経営し成功する。この工場は、世界で最初とも言われる幼稚園をはじめとした学校などの教育や娯楽といった福祉施設、労働時間の短縮、工場内の消費協同組合方式の売店などの特徴があった。その成功は広く知られ、内外から多くの見学者を集めるまでになった。この経営の経験にもとづく労務管理論を環境性格決定論と結びつけることで社会主義論を生み出す。1825年にアメリカに渡り、ニュー・ハーモニー実験村を設立するが失敗する。オウエンの思想は、今日の消費協同組合の原型とされているロッジデール協同組合の形成に影響を与えた。そのために協同組合思想の祖と見なされることもある。主著、『新社会観』(1813-14)。
オウエンの思想を支えているのが「性格形成原理」である。これは、環境や教育によって人間の性格はどのようにでも形成が可能であるとする考え方である。労働者の教育・労働条件の改善をはかることで、労働生産性を上昇させようとするものである。また、私有財産と自由競争の社会では、機械の導入が貧困と道徳的堕落の原因となっているが、諸個人の性格を改善することで、人間の幸福につながるように機械が利用可能となる。

ここでは「現在の窮乏の原因の解明」(1821、五島茂訳、中央公論)によって、市場経済をどのように批判的に見ていたかを確認しておきたい。オウエンはまず、この社会を特徴付けているのは、「費用価格にもとづく利潤」、分業、自由競争であり、そして「幸福の獲得ではなく、富の獲得が社会の主要目的」となっていることを指摘する。

「人間の欲望は、費用価格にもとづく利潤と、微細分業と、当事者の間の競争との基礎に立つ商業によって長らく充足されてきた。/これらの原理の基礎に立ついろいろな体制は、おそらく、人の世のある特殊な時代にとっては必要でもあり、有用でもあった。しかし、科学的改善の圧倒的影響は、いまや急速にその時代を終わらせつつある。これらの体制はもうこれ以上長く続けることはできない。だから、費用価格にもとづく利潤はこの後一般には獲得できない」(201頁)
「科学から得られた新供給能力は優れた指導のもとにあるならば、社会全体に最高の恒久的繁栄を確保するであろうけれども、この新供給能力の生む生産物の過剰によって、この制度のもとでひきおこされる諸困難から文明社会を救い出すためには、何らかの措置が必要なのである。」(203頁)
オウエンは科学そして機械が巨大な供給能力を生み出したことを強調する。問題はその供給能力が発揮されず、人々に富裕が行き渡らないことにある。その原因は利潤を目的として生産が行われるからである、とオウエンは考える。「現存の社会制度は、生産と消費とを、価格にもとづく利潤を通してのみ処理することを許している」。供給を上回る需要があれば利潤が発生する。言い方をかえれば、費用価格を越える需要(価格)が利潤である。なぜ需要が供給を下回らざるをないのか、こういった問題を分析することはないオウエンの利潤の議論は不十分と言わざるを得ない。だが、彼の思想はわかりやすい。

オウエンが提起するのは、需要を上回る供給が実現できる制度である。言い方をかえれば、利潤が不必要なコミュニティーの設立である。新しいコミュニティーの中では、「科学的な制度によって、この利潤は全ての人にとって不必要で、不利益であるのみならず、まったく実行不可能なものとなるであろう」(210頁)。こうして需要を上回る生産を行ったコミュニティーは他のコミュニティーと剰余生産物を交換するようになる。その際の規準は労働時間で行うべきであると主張する。これが労働貨幣として知られるオウエン特有の発想である。

理想とされるコミュニティーは、500人から1500人規模である。人々は田園に建設された、いくつもの居間と寝室、広い共同厨房、それにいくつもの食堂、いろいろな年齢の人たちごとの学校、教会、病院、図書館を組み込んだ建物に住むことになる。建物の周りには菜園があり、子供たちの運動場が配置されている。

「第一に労働者階級のための共同住宅を建設し、暖房と通風の施設を付けること。それも現在のどんな計画よりも、より良く、かつより安く。/第二に、彼らにより良い、かつより安い食物を供給すること。第三に、彼らにより良く、より安い衣料を供給すること。第四に、彼らをより良く、かつより安い費用で訓練し、教育すること。第五に、彼らが現在享受している以上の健康を彼らに確保すること。第六に、彼らの労働をいままでよりもより良く管理された科学を使って、農業、工業の他あらゆる社会目的に向けること。そして最後に、彼らをあらゆる点において社会のより良いメンバーにすること」(206頁)

■オウエンとマルクス
自由競争のもとで利潤追求を目的に生産が行われる社会では、社会が有している生産力が十分には発揮されない。これがオウエンの認識であった。1810年代には機械導入が生み出した失業に対して、労働者はラッダイド運動(機械打ち壊し運動)によって反抗した。しかし、オウエンは機械そのものではなく、機械が使用される社会体制にこそ問題があると見抜いていた。こうした着眼は、生産力と生産関係の矛盾というマルクスの認識とほぼ同じである。

補足:クレスピ・ダッダ
繊維工場経営に成功したクレスピー一族により、19世紀終わりにイタリアのロンバルディア州で人間的労働環境の理想を追求した綿紡績工場が建設される(1875-1929)。この工場では50年以上にわたり労働争議を経験することなく、労働者は理想の職住環境を享受できた。

クレスピー・ダッダは協同組合方式を志向していたわけではない。よって、オウエンの系譜に属するものとはいえないが、労働時間の短縮、労働環境・住宅環境の整備、図書館、劇場、教育の無償化など、多くの点でオウエンの思想と共通性を持つものと言えよう。

世界恐慌の中でクレスピー・ダッダは破産していく。マルクスは、社会全体の変革なくして理想のコミュニティーの存続は不可能であると主張した。クレスピ・ダッダの破産は、マルクスの主張の正しさを証明するものといえるかもしれない。とはいえ、クレスピー一族の試みは、短期間ではあるにせよ生命力を持ちえた理想社会実現の運動として過小評価すべきではないだろう。 参照:TBS 世界遺産

マルクスの時代

カール・マルクス:1818-1883。 現在のドイツ南部で生まれる。 ヘーゲル哲学の批判的研究から出発し、資本主義社会を理解するためには、 経済構造を解明する必要があることを悟り、経済学の研究を開始する。 危険人物としてマークされ、パリやブリュッセルなどを転々とし、 最終的にはイギリスに落ち着く。 主著『資本論』を執筆した(第1巻1867、第2、3巻はマルクスの遺稿をもとに エンゲルスが編集したもの)。 他の著作として『経済学批判』、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』や、 エンゲルスとの共著『ドイツ・イデオロギー』、『共産党宣言』がある。
マルクスが活躍した19世紀半ばのイギリスは、 産業革命が終わり、世界一の経済力を誇っていた。 しかし、工業地帯に目を向ければ、 富めるものはますます豊になり、貧しい者はますます貧しくなる、という状況が生まれていた。 不況に陥るたびに多くの失業者があふれ、 資本主義社会の負の側面を露呈させていた。 スミスが予言したように富裕が一般化した状況ではなかった。

1848年に「万国の労働者よ団結せよ」と結ばれた『共産党宣言』が刊行される。 『宣言』を貫く歴史観は「これまでの全ての社会の歴史は階級闘争の歴史である」という 階級闘争史観であった。 小生産者は没落し、ブルジョアとプロレタリアートの2大階級へとますます分裂しつつあり、 プロレタリアートの勝利が近いとマルクスは見ていた。 『宣言』の刊行直後、パリでは二月革命が勃発し、革命の炎はヨーロッパ各地に飛び火した。 しかし、48年の革命的情勢は資本主義社会の構造を変革するものではなかった。 マルクスは資本主義社会を解明すべく、古典派経済学の研究に沈潜していく。

マルクスの思想的源流

ドイツ哲学、イギリス古典派経済学、フランス社会主義。この3つがマルクスの思想的源流であるとレーニンは述べている。 イギリス古典派経済学、とりわけリカードウの経済理論をマルクスは批判的に受け継いでいる。これから見ていくように、労働価値説を軸にした『資本論』は、きわめてリカードウに近い体系となっている。 フランス社会主義からの影響はそれほどはっきりしたものではないが、マルクスはフーリエやプルードンといった初期社会主義者たちの著作を批判的に検討している。また、フランス社会主義者ではないが、オウエンの主張にもマルクスとの共通点を数多く見いだすことができる。

ここでは、ドイツ哲学との関係について説明しておく。若いときのマルクスはヘーゲル哲学を研究していた。ヘーゲル(177-1831)は没後、いくつかのグループに継承されていく。その中心となったのが、フォイエルバッハ(1804-1872)に代表されるヘーゲル左派である。マルクスはフォイエルバッハに近い立場から出発した。つまり、ヘーゲル→フォイエルバッハ→マルクス。

ヘーゲルは神を中心とした世界観・歴史観を構築した。神がこの世の中を作り、それが歴史を動かしていくという考え方である。神の意図は人間だけではなく、自然などあらゆるものに貫徹しており、あたかも神に操られるあやつり人形のようにして歴史を作っていくという体系であった。 こうした考え方の根底には、カルヴァン派の色彩が強い「予定調和説」という教義があった。

さて、こうした神中心のヘーゲルの体系をフォイエルバッハは批判した。分かりやすく言えば、「人間こそが神を生み出したんじゃないの。だから神には人間の本質が投影されていると考えねばならん」、ということになる。フォイエルバッハは「宗教の秘密は人間学である」という有名な言葉を残している。こうしてドイツ哲学は神を追放して、唯物論へと進んでいくことになる。

フォイエルバッハの『将来の哲学の根本命題』(1843)では次のように述べられている。「ある惑星に住んでいる思考する生物が、神の本質を論じているキリスト教の教義の2,3節を読んだとしよう。この生物はここからどんな結論を出すだろうか?キリスト教の意味での神の存在であろうか?そうではない。...人間による神の定義を、人間自身の本質の定義と見るだろう。」
このようにして、フォイエルバッハはヘーゲルが神と言っていたものを、人間に置き換えたのである。マルクスはさらにこの考え方を押し進めたて、フォイエルバッハにいちゃもんをつけたのである。マルクスの「フォイエルバッハに関するテーゼ」(1845)から引用しておこう。
「フォイエルバッハは宗教の本質を人間の本質に解消する。しかし人間の本質は、個人に内在する抽象物ではない。人間の本質とは、現実には社会的諸関係の総和である。」

「したがってフォイエルバッハは、『宗教的心情』そのものが一つの社会的産物であるということ、かれが分析する抽象的個人が現実には特定の社会形態に属していることを見ない。」

易しく言いかえれば、「あんたの言う『人間』ってのは、いったいどんな存在なの?『人間』という抽象的なものを持ち出しても、何にも説明したことにはならんぞ。」という趣旨である。マルクスが言いたかったことは、『人間』と言ったって、時代や場所によってまさに人様々である。だから、人間とは何かを分析するためには、個人を成り立たせている社会とは何かを分析しなければならないとマルクスは考えたわけだ。一人一人の人間は、彼をとりまく様々な社会的環境(家庭や学校や職場等々)の中で育ってきたし、さらに社会的環境を離れて存在することはできない。社会こそが人間を生み出し、そして人間を人間たらしめているのである。 だから、社会の分析からはじめる必要がある。
このように、全体は個に先立つという観点からの分析の立場のことを、「方法論的全体(総体)主義」と呼んだりする(全体主義はホーリズムの訳語)。シュモラーなどもこの系譜に入れることができるだろう。方法論的全体主義は経済学よりもむしろ、デュルケームに代表される社会学の方で発展した。現代思想の一角を占める構造主義(ポスト構造主義も含む)も全体主義の系譜に属する。こうした考え方と対象的なのが、個人から出発して、その総和として社会を分析する立場である。こちらは「方法論的個人主義」と呼ばれる。新古典派経済学が代表的である。例えば、個人の効用から個別需要曲線を導出し、その総和で社会的需要曲線を導出する手法にこうした考え方がよく表れている。
さて、社会と言っても、実に様々な側面があるはずだ。どこから手を付ければよいのだろうか?宗教から?政治から?家族から?いろいろなアプローチがありうるが、経済的な関係から、社会を分析していこうとする立場がある。その代表が、マルクスの考え方の基本をなしている「唯物史観」という考え方である。

唯物史観
マルクスの社会観・歴史観は「唯物史観」と呼ばれる。 少々長くなるが、唯物史観の定式化として知られる『経済学批判』の「序言」を引用しておく。

「人間は、彼らの生活の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立した 諸関係に、すなわち、彼らの物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係に入る。 これらの生産諸関係の総体は、社会の経済的構造を形成する。 これが実在的土台であり、その上に一つの法律的および政治的上部構造がそびえ立ち、 そしてそれに一定の社会的意識諸形態が対応する。 物質的生活の生産様式が、社会的、政治的および精神的生活過程一般を制約する。 ... 社会の物質的生産諸力は、その発展のある段階で、それらがそれまでその内部で運動してきた 既存の生産諸関係と、あるいはそれの法律的表現にすぎないものである 所有諸関係と矛盾するようになる。 これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏に一変する。 そのときに社会革命の時期が始まる。 経済的基礎の変化とともに、巨大な上部構造全体が、あるいは徐々に、 あるいは急激にくつがえる。 ...大づかみに言って、アジア的、古代的、封建的およびブルジョア的生産様式が 経済的社会構成のあいつぐ諸時期として表示されうる。」(S.8)
この中身は、(1)社会構造の理論と(2)移行の理論の二つに分けられる。

(1)社会構造の理論
上部構造イデオロギー
政治や法律
下部構造経済(=生産力+生産関係)

ある経済的関係が決ると、それに応じて政治や宗教などが決るとい う考え方である。

(2)移行の理論
生産力とは、簡単にいってしまえば、人間が物を作り出す能力である。 おおよそは技術によって規定されるといって良いだろう。 生産力が高まると、新しい経済システム(生産関係)に移行すると考えていた。 例えば、農業生産性や工業生産性が高まることによって、 それまでの封建制的な経済システムでは経済はうまく動かなくなり、 新しい資本主義的な経済システムに移行したことになる。

資本論の構成
マルクスがもともと計画していたのは、国家論や世界市場論を含む壮大な体系であった。 資本論はこの体系の一部分にすぎない。 しかも、マルクス自身の手によって刊行されたのは第一巻(1867)だけで、 第二巻、第三巻はいずれもマルクス没後、彼の草稿をもとにしてエンゲルスが 編集し刊行したものである。

第一巻は、投下労働価値説をベースにして、マルクス経済学にとってキー概念である 「剰余価値」が生み出されるメカニズムが分析される。 ここでは階級関係が再生産されるメカニズムも分析される。 第二巻は資本の回転や産業部門間の関係が分析される。 剰余価値は直接目に見える形で現象するわけではない。 そこで第三巻では、利潤や地代という実際に目に見える形で剰余価値が分配される メカニズムが分析される。

資本論の議論を整理すれば、おおよそ次のようになろう。 「地代とか利潤など日常目にする所得は、剰余価値の現象形態に他ならない。 その背後には剰余価値を生み出す階級関係がある。 しかし、日常的な意識からは、この本質的な階級関係は覆い隠されている。 こうした階級関係を明らかにするために、投下労働価値説にもとづく剰余価値論が 必要不可欠である。」 現象と本質という図式が資本論を貫いている。 マルクスは現象形態にとらわれて、需要と供給で決まる価格分析に終始した経済学者たちを、 「俗流経済学者」と呼び批判した。

「俗流経済学は、ブルジョア的生産関係にとらわれたこの生産の当事者たちの諸観念を 教義的に通訳し体系化し弁護論化することのほかには何もしていない。 経済的諸関係の疎外された現象形態−−そしてもし事物の現象形態と本質とが 一致するのであればおよそ科学は余計なものである−−、 ....まさにこのような現象形態のもとでこそ俗流経済学はまったく わが家にある思いがするのだ...。」(Bd.3,S.825)

『資本論』の構成
巻数分析レベル考察対象分析の主要視座
第1,2巻本質=資本・賃労働関係商品と貨幣
剰余価値の生産
階級関係の再生産=蓄積
価値
第3巻現象剰余価値の分配
 →利潤・地代・利子
日常的意識
生産価格

第一巻は「価値」を用いて分析が行われ、第三巻から「生産価格」を用いて分析が行われている。価値と生産価格との関係をマルクスは単純に考えていた。しかし、価値と生産価格とを関連付けようとすると、論理的にはいろいろな問題が生ずる。 そのために、多くの論争を生んできたし、マルクス経済学の最大の弱点とする主張もあるが、ここでは、次元の違う分析装置が使われている、ということをおさえておけばよいだろう。

商品生産
『資本論』は次のセンテンスで始まる。「資本主義的生産様式が支配的な社会の富は、一つの『巨大な商品の集まり』として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる」。一見すると自明な商品から分析がはじまる。商品の交換は単なる物と物との交換だけを意味しているのではない。マルクスは商品交換の背後にある人間の関係に着目する。人間と人間との関係が媒介物である物と物としての関係として現れる。これが『資本論』を貫徹するシェーマである。

分業が行われている社会における個々の労働に着目してみよう。社会全体を見るならば、各人の労働は社会全体で必要とされる労働の一部分を担っているはずである。つまり各人は「社会的な労働」を行っているのである。 しかし、商品経済社会では各人の労働が生産物の交換に先立って、予め社会的に必要な労働であったかどうかは分からない。生産した商品が売れてはじめて「社会的な労働」であったことが実証されるのである。

「生産者たちは自分たちの労働生産物の交換を通じてはじめて社会的に接触するようになるのだから、彼らの私的諸労働の独自な社会的性格もまたこの交換においてはじめて現れるのである。言い換えれば、私的諸労働は、交換によって労働生産物がおかれ労働生産物を介して生産者たちがおかれるところの諸関係によって、はじめて実際に社会的総労働の所環として実証されるのである。...諸個人が自分たちの労働そのものにおいて結ぶ直接に社会的な関係としてではなく、むしろ諸個人の物的な諸関係および諸物の社会的な諸関係として、現れるのである。」(Bd.1,S.87)
では、商品の交換比率を決定するものは何なのか?マルクスは投下労働価値説によって、すなわち商品を生産するのに必要な労働時間で商品の価値が決まるとする。より正確に言うならば、その商品を生産するのに平均的に必要とされる労働時間である。
「それ〔商品〕の価値の大きさはどのようにして計られるのか?それに含まれている価値を形成する実体の量、すなわち労働の量によってである。労働の量そのものは、労働の継続時間で計られる....。一商品の価値がその生産中に支出される労働の量によって規定されるとすれば、ある人が怠惰または不熟練であればあるほど、彼はその商品を完成するのにそれだけ多くの時間を必要とするので、彼の商品はそれだけ価値が大きいと思われるかもしれない。しかし、諸価値の実体をなしている労働は、同じ人間労働であり、同じ人間労働力の支出である。...価値量を規定するものは、ただ、社会的に必要な労働量、すなわち、その使用価値の生産に必要な労働時間だけである。」(Bd.1,S.53)
『資本論』第1巻では、価値どおりの交換が前提されている。とはいえ、マルクスにとって個々の商品の交換比率はさして重要な問題ではなかった。価値どおりの交換を前提にすることで、資本主義社会における階級関係を説明することが目的であった。第3巻では労働価値とは別の次元の「生産価格」という概念によって、価値と価格との乖離という問題が扱われる。労働価値説はシンプルである半面、理論的にはやっかいな問題をはらんでいる。リカードウやマルクスが頭を悩ましたところである。

労働力商品と産業資本
資本主義社会の特徴は「労働力」が商品として売買されていることである。労働力とはさしあたり、労働者の労働する能力と考えておけばよいであろう。マルクスは「二重の意味で自由」な労働者の存在があってはじめて資本主義社会が成り立つと考えている。

「貨幣が資本に転化するためには、貨幣所持者は商品市場で自由な労働者に出会わなければならない。自由というのは、二重の意味でそうなのであって、自由な人として自分の労働力を自分の商品として処分できるという意味と、他方では労働力の他には商品として売るものをもっていなくて、自分の労働力の実現のために必要なすべての物から解き放たれており、すべての物から自由であるという意味で、自由なのである。」(Bd.1,S.183)
この労働力という商品の価値はどのようにして決まるのであろうか?ここでも他の商品と同じように投下労働価値説の原則が貫徹する。すなわち、労働力の生産に必要な労働時間で決まるのである。だから、労働者が生きていくのに必要な生活手段を生産するのに必要な労働時間で労働力の価値が決まることになる。
「労働力の価値は、他のどの商品の価値とも同じように、この独自な商品の生産に、したがってまた再生産に必要な労働時間によって規定されている。...労働力の生産は彼自身の再生産または維持である。自分を維持するためには、この生きている個人はいくらかの量の生活手段を必要とする。だから、労働力の生産に必要な労働時間は、この生活手段の生産に必要な労働時間に帰着する。言い換えれば、労働力の価値は、労働力の所持者の維持のために必要な生活手段の価値である。」(Bd.1,S.185)
労働力の価値と労働者の労働時間とは別ものであることに注意してもらいたい。例えば、労働者は1日に10時間労働するとしよう。労働者が消費する生活資料の価値が労働力の価値であるから、労働力の価値は10時間の労働とは関係ないのである。 ここで数字例で考えてみよう。 1時間の労働が1000円の価値を生み出せるとしよう。 例えば、5000円の原材料を購入し、雇用した労働者を10時間働かせて 商品を生産している工場を考えよう。 価値を新たに形成できるのは労働だけである。 だから、原材料の価値は生産物にそのまま移転されるだけである。 生産物は15時間の労働を含んでいるから、15000円の価値を持つことになる。

原 材 料 → 価値移転 → 
5時間(5000円)
   生  産  物 
  15時間(15000円)
 労   働  → 価値形成 → 
 10時間労働(10000円) 
労働者の受け取る賃金が6000円であるとしよう。 それは労働者が消費する生活手段が6時間の労働で生産されていることを意味する。 つまり、10時間の労働を生み出すためには、6時間分の労働で生産された 生活手段が必要であった、ということになる。 6000円で購入した労働力商品が、10000円の価値を形成したのである。 このように労働力商品だけが価値を増殖させるのである。

労働力の再生産に必要な分の労働をマルクスは「必要労働」と呼び、 そしてそれを超過する労働時間のことを「剰余労働」と呼んだ。 上の例では、6時間が必要労働で2時間が剰余労働である。
労働時間=必要労働+剰余労働
剰余労働が形成する価値を「剰余価値」と言う。

マルクスは価値を増大させてゆく運動として「資本」を捉えた。こうした「資本」の把握は、機械や工場などのいわゆる「資本ストック」として資本を捉える今日の主流派経済学とは異質である。剰余価値を生産する資本の運動が「産業資本」である。産業資本の運動は次のように定式化することができる。

貨幣(G)−商品(W)< 生産手段(Pm) ・・生産過程(P)・・商品(W’)−貨幣(G’)
労働力(A)

このように、資本は、あるときは貨幣であったり、あるときは商品であったりと、いろいろと形を変えながら運動していくのである。 この運動の中で労働力だけが価値を増大させるから可変資本と呼ばれる。 これに対して、生産手段(原材料や機械など)は価値を移転させるだけなので、不変資本と呼ばれる。

ある階級が生み出した剰余価値を、商品交換の法即に即して他の階級が取得することをマルクスは「搾取」と呼んだ。労働者も自由な商品の売り手である。その限りでは、資本家も労働者も対等な関係である。資本家がインチキや不正によって利潤を得ているという非難をマルクスは行わなかった。むしろ、商品交換の原則に従っていながら、なおかつ剰余価値が生まれることを示すのがマルクスのねらいであった。つまり、形式的には平等な関係が(言い換えれば、交換的正義が貫徹していても)、実質的な不平等が生まれることを問題にしているのである。

相対的剰余価値
労働力の価値に対する剰余価値の比率、すなわちM/Vのことを剰余価値率(別名、搾取率)と呼ぶ。この比率は労働力の価値に相当する労働時間を越えて、労働者がどれだけ余分に働いているかを表す指標である。この指標は労働者階級と資本家階級との力関係を表す指標である。

今、労働生産性が一定で、労働者の生活手段の中身(物的な中身)も一定であるとしよう。このとき労働力の価値は不変である。この場合には労働時間を延長させれば、剰余価値は増大する(絶対的剰余価値の生産)。しかし、工場法などが制定されることで、労働時間の延長には限界が設けられる(マルクスは労働時間が階級闘争によって決定されると考えていた)。つまり、絶対的剰余価値には限度が画されることになる。

仮に労働者の生活手段の物的中身が一定で、かつ労働時間が一定であったとしても、労働生産性が上昇すれば剰余価値の増大は可能である。それが相対的剰余価値の増大である。生産力の上昇があればその価値は低下する。すなわち、労働力の価値は低下するのである(=剰余価値の増大)。

「労働日の延長によって生産される剰余価値を絶対的剰余価値と呼ぶ。これに対して、必要労働時間の短縮とそれに対応する労働日の両成分の大きさの割合の変化とから生ずる剰余価値を相対的剰余価値と呼ぶ。労働力の価値を下げるためには、労働力の価値を規定する生産物、したがって慣習的な生活手段の範囲に属するかまたはそれに代わりうる生産物が生産される産業部門を、生産力の上昇がとらえなければならない。...ある一人の資本家が労働の生産力を高くすることによってたとえばシャツを安くするとしても、けっして、彼の念頭には、労働力の価値を下げてそれだけ必要労働時間を減らすという目的が必然的にあるわけではないが、しかし、彼が結局はこの結果に寄与する限りでは、彼は一般に剰余価値率を高くすることに寄与するのである。」(Bd.1,S.334)
ここではマルクス流の意図せざる結果の論理が登場している。他の資本家との競争にさらされている個々の資本家は、少しでも安い費用で商品を生産しようと絶えず生産方法の改善を目指している。今、ある資本家が生産方法の改善に成功したとしよう。商品の価値はそれを生産するのに社会的に平均的に必要とされる労働時間で決まる。だから例外的に安い費用での生産に成功したこの資本家は、同じものを生産している他の資本家よりも大きな超過利潤を獲得することができる。しかし、どの資本家もこの新しい生産方法を導入しようと競争する。その結果、新しい生産方法が普及してしまえば、商品の価値は引き下げられてしまい、超過利潤は消滅するであろう。とはいえ、話はこれで終わりではない。商品の価値が下がることで、労働力の価値が引き下げられるのである。その結果、相対的剰余価値の増大が行われるのである。個々の資本家の行動が、意図することなく労働力の価値の引き下げを実現してしまうのである。

個別資本     社会的帰結
特別剰余価値の追求
(超過利潤)
競      争>>>>>新生産方法の普及
超過利潤の消滅>>>>>相対的剰余価値の生産

相対的過剰人口
生産力の画期的な上昇を可能にしたのが機械制工業である。機械制工業は相対的剰余価値の増大を実現させただけではない。機械化の進展は、投資に占める労働者の賃金部分の割合を低下させてゆくであろう(すなわち、可変資本に対する不変資本の増大)。その結果、労働需要の増加率が労働人口増加率よりも低くなりうる。こうして失業者(産業予備軍)が発生することになる。 こうした失業者の発生は、資本主義社会特有の社会的に形成された過剰人口である。 可変資本に対する労働人口の過剰という意味で、マルクスは相対的過剰人口と呼んだ。

相対的過剰人口の存在は、労働者の賃金を引き下げる役割を果たすだけではない。 資本主義を成立させる特有の人口法則を生み出したことを意味する。 拡大再生産を行うためには、追加的に雇用される労働者が必要となる。 しかし、資本主義的な生産関係といえども、直接的に労働人口を増大させることはできない。 つまり、人間そのものの生産は資本主義的生産関係の外部にある。 そこで相対的過剰人口を発生させることで、労働者を確保するメカニズムを確保するのである。

さて、スミスは分業による生産力の上昇から、富裕の一般化という事態が実現すると予想していた。 ところが見てきたように、マルクスは生産力の上昇を全く正反対に否定的に捉えている。 生産力の上昇のメリットが資本家だけにもたらされるメカニズムを描いたといえよう。

「資本主義体制のもとでは労働の社会的生産力を高くするための方法はすべて個々の労働者の犠牲において行われるということ、生産の発展のための手段は、すべて、生産者を支配し搾取するための手段に一変し、労働者を不具にして部分的人間にして、彼を機械の付属物に引き下げ、彼の労働の苦痛で労働の内容を破壊し、独力の力としての科学が労働過程に合体されるにつれて労働過程の精神的な諸力を彼から疎外するということ、これらの手段は彼が労働するための諸条件をゆがめ、労働過程では彼を狭量陰険きわまる専制に服従させ、彼の生活時間を労働時間にしてしまい....。一方の極での富の蓄積は、同時に反対の極での、すなわち自分の生産物を資本として生産する階級の側での、貧困、労働苦、奴隷状態、無知、粗暴、道徳的堕落の蓄積なのである。」(Bd.1,S.674)
生産力の上昇が富裕の一般化をもたらさない究極の理由を、 マルクスは労働者が生産手段を所有しないことに求めた。 だから、生産手段の所有のあり方を変革することが必要となる。 有名な一説を挙げておこう。
「絶えず膨張しながら、資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結合され組織される労働者階級の反抗もまた増大してゆく。資本独占は、それとともに、そしてそれの下で開花したこの生産様式の桎梏となる。生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的な外化とは調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。/...資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生み出す。...この否定は私有を再建しはしないが、しかし、資本主義時代の成果を基礎とする個人的所有を作り出す。」(Bd.1,S.791)
社会主義というと、国家による生産手段の所有というイメージが強いが、 マルクスは必ずしもそのような社会主義の展望を語ってはいないのである。 社会主義社会では、私有ではなく「個人的所有」が行われるというのである。 とはいえ、その具体的な中身についてマルクスはほとんど何も語ってはいない。 だから、マルクスが考えた社会主義とは何であったのか、ということについて多くの論争が行われている。

利潤率の低下傾向
剰余価値率M/Vは階級関係を表す指標である。相対的剰余価値のところで見たように、資本家は剰余価値率を高めることを直接、意図して行動しているわけではない。資本家にとって重要な指標は費用に対する利潤の割合である。 利潤を剰余価値と置き換えるならば、利潤率は次のように書ける。
利潤率=M/(C+V)    M:剰余価値、C:不変資本、V:可変資本

今、機械化が進展することで生産力が上昇するとしよう。 機械化の進展は労働者一人当たりが用いる不変資本を増大させる傾向があると言ってよいだろう(ファクトリー・オートメーション(FA)などを想起すれば分かりやすい)。 つまり、生産力の上昇は、C/V(資本の有機的構成)を増大させる傾向があることになる。これは興味深い帰結をもたらす。

利潤率の式の分母と分子をVで割ってみよう。  利潤率=(M/V)/((C/V)+1)  となる。

C/Vの上昇は分母を増大させる。 それゆえ、M/Vが一定であれば、利潤率は低下していくことになる。 この議論の妥当性については、多くの異論もある。 マルクスも必ず利潤率が低下するとは考えていなかった。 そのために、「低下傾向」という言い方をしたのである。 いずれにせよ、生産力の上昇を追求してゆくことで、資本家自らが自分たちの首を絞めていく、という図式をマルクスは描きたかったのである。

「すでに述べたように、資本主義的生産様式の一法則として、 この生産様式の発展につれて可変資本は不変資本に比べて、したがってまた 動かされる総資本に比べて相対的に減少してゆくのである。 ... 一般的利潤率が次第に低下していく傾向は、ただ、労働の社会的生産力の発展の進行を表す 資本主義的生産様式に特有な表現でしかないのである。」(Bd.3,S.222)

■利潤率低下論に対する批判と反論
上で示した式については、 「マルクスは剰余価値率の増大を認めていた。 だから分子の M/V が大きくなるはずなので C/V が大きくなっても 利潤率がどうなるかは分からない」という批判がある。 これについては次のような反論がある。
機械化が進展してゆけば、不変資本の価値に対する生産過程で投下される労働量の低下をもたらす。 これは(V+M)/Cの低下を意味する。 この分数が限りなく低下してゆけば、それよりも値の小さい利潤率はやがて低下してゆかざるをえない。
∵ M/(C+V) < (V+M)/(C+V) < (V+M)/C

■利潤率低下論の比較
スミスは競争の増大から、リカードウは農業の生産性低下から、利潤率の低下傾向を認めていた。 マルクスの場合には、生産性の上昇と利潤率の低下傾向を結び付けているところに特徴がある。

■生産性上昇の帰結
生産性上昇が何をもたらすかについて、マルクスの議論を整理しておこう。

生産性の上昇→相対的剰余価値の生産
→相対的過剰人口(=失業)の増大→労働者の貧困の増大→労働者の反抗
→利潤率の低下

スミスの経済像と対照的であることが分かるだろう。

「経済学的三位一体」批判

『資本論』は「経済学的三位一体」批判で終わる。「三位一体」とは、父なる神(創造神)、子なる神(キリスト)、精霊なる神が、3つの位格を持ちながら同一のものであるというキリスト教の用語である。マルクスはこの言葉を、資本主義社会の現象面だけに目を奪われた俗流経済学者を批判するために用いた。労働は賃金を生み、資本が利子を生み、土地が地代を生む。こうした把握の仕方を「経済学的三位一体」と名づけたのである。利子や地代は剰余価値の現象形態であり、これらの収入の背後には歴史的に形成された階級関係がある。現象形態だけに目を奪われて、階級関係の分析に目をつぶる経済学をマルクスは俗流経済学と呼び批判した。

「...現実の生産者たちの日常的観念の教師的な多かれ、少なかれ教義的な翻訳以外の何者でもない俗流経済学は、いっさいの内的関連の消し去られている三位一体のうちに、自分の浅はかな尊大な自然的な、一切の疑いを持ちえない基礎を見いだすのである。この定式は同時に支配階級の利益にも一致している。なぜならば、それは支配階級の収入の源泉の自然必然性と永遠の正当化の理由を宣言して、それを一つの教条にまで高めるからである。」(Bd.3,S.839)

『資本論』はどのように階級関係が再生産されていくかを分析した書物であると同時に、階級関係という本質的な関係ではなく、ひとびとが現象形態を合理的な形態として受け入れてしまうかを分析した書物でもある。今日の支配的な経済学である新古典派経済学も、労働、土地、資本という生産要素の要素収益として賃金、地代、利子を把握しているから、マルクスの目から見れば俗流経済学に他ならないということになろう。