重商主義の経済思想(続きの続き)

貨幣経済論と貨幣数量説
重商主義のまとめとして、彼らの貨幣の捉え方を見ておく。

貨幣の増減が実物経済(生産や雇用)に影響を与えない(貨幣数量説)か、 それとも影響を与えるか(貨幣経済論)という両極端の考え方がある。

フィッシャーの交換方程式を使って、これを説明しよう。

 MV=PT  (M貨幣ストック、V流通速度、P物価、T取引量)

仮にVが一定であるとしよう。 いまMが増加したとする。 Mの増加率とPの増加率が一致していれば、Tに変化はない。 これが「貨幣数量説」である。 Mの増加率よりもPの増加率が低ければ、Tは上昇する。 これが「貨幣経済論」である。

通説では、重商主義は貨幣経済論であったということになっている。 果たして本当であろうか。

ヒュームの貨幣論
ヒュームも後期重商主義に分類するのが普通である。 ただし、私見では古典派経済学に近いので重商主義と古典派との昼間に位置する 「過渡期の経済学」と位置づけたい。

デヴィッド・ヒューム 1711-1776 : スコットランドの思想家。 エジンバラ大学でロックやニュートンに学ぶ。 イギリス経験論を代表する哲学者である。 知識の絶対性を疑い、全ての知識は蓋然的なものにすぎないと主張した。 「無神論者」とする論者もいるほどである。 その懐疑論は哲学者カントに多大な影響を与えた。 経済学に関しては断片的な著作しか残していないが、スミスに与えた影響は大きい。 ここでは「貨幣について」、「貿易差額について」を対象とする。 底本は田中敏弘訳『ヒューム政治経済論集』御茶ノ水書房。
ヒュームの基本的な考え方は数量説である。
「貨幣は正確に言えば、商業の実体の一つではなくて、財貨相互の交換を容易にするために人々が承認した道具にしかすぎない。それは交易の車輪の一つではない。それはこの車輪の動きをより円滑にする油なのである。われわれがある国をそれだけとって考察するならば、貨幣量の多少がなんら問題でないことは明白である。なぜならば、財貨の価格はつねに貨幣の量に比例するからである...」(33頁)
ヒュームは数量説を発展させて、「正貨の自動配分論」を主張した。 その要点は、金銀の増加→物価上昇→輸出品の競争力低下→貿易収支悪化→貨幣流出 →物価下落→競争力上昇→貿易黒字→....... この主張は、金銀を増加させようという重商主義政策への根底的な批判になっている。
「仮にグレートブリテンの全貨幣の五分の四が一夜のうちに消滅し、わが国民が正貨に関してはヘンリー諸王やエドワード諸王の時代と同じ状態に戻ったとすれば、どのような結果が生ずるであろうか。きっと、すべての労働と財貨との価格はこれに比例して下落し、あらゆるものはこれらの時代と同様に安く売られるであろう。こうなれば、いったいどのような国民が外国市場でわれわれに対抗したり、われわれに十分な利益を与えるのと同じ価格で製造品を輸出したり販売したりするようなまねができようか。したがって、ごく短期間のうちに、この事情はきっとわが国が失った貨幣を呼び戻し、わが国の労働と財貨との価格を近隣の全ての国民の水準にまで騰貴させるであろう。われわれがこの点に達したのちには、労働と財貨の廉価という利点は直ちに失われる。そしてこれ以上の貨幣の流入は、わが国の飽和状態によって止まるであろう。/またかりにグレートブリテンの全貨幣が一夜のうちに5倍に増加したとすれば、これと反対の結果がきっと生ずるであろう。すなわちきっと労働と財貨とは全て法外な高さに騰貴して、近隣のどの国民もわが国から買うことができなくなるであろうし、他方、隣接する諸国民の財貨は、比較的に廉価になって、どのような法律をもってしてもそれらはわが国に流入し、わが国の貨幣は流出するであろうし、ついには、わが国の労働と財貨との価格は外国のそれと同じ水準まで下落し、われわれをこのような不利益な状態の置いた富のあの大きな優位を失うであろう。/...自然の普通の成行の中ではこうした不均衡が発生することは妨げられるに違いない。またその〔不均衡を是正する〕諸原因は、隣接するあらゆる国民の間で貨幣を絶えず各国民の技術と産業活動にほぼ比例するように保持させるに違いない。」(66頁)
しかし、ヒュームには貨幣経済論の主張もある。
「...アメリカにおける鉱山の発見以来、ヨーロッパの全ての国民の産業活動が増加したことは確かであって、それは他のいろいろな理由のうちでもとくに、金銀の増加に求めるのが正当であろう。貨幣が以前よりも多量に流入し始めるあらゆる国においては、あらゆる物が新しい様相を呈することをわれわれは知る。すなわち、労働と産業活動は生気を帯び、商人はより精力的になり、製造業者は勤勉と熟練とを増し、農民でさえより敏速にかつ注意深く耕作するようになる。」(37頁)
一見するとヒュームは矛盾した主張を行っている。 だが、ヒュームの真のねらいは数量説をベースとして、 短期間だけ貨幣経済論を主張するところにあった。 貨幣経済論に制限をかけようとしたものとも言えよう。 すなわち、貨幣の増加は瞬時に物価を上昇させるのではなく、 次第に物価上昇が波及していく。 その波及期間の間だけは、貨幣経済論が正しいとする主張である。 この主張は「連続的影響説」と呼ばれる。
「貨幣が国の全体にあまねく流通し、その効果が国民の全ての階層に及ぶまでには、ある時間の経過が必要なのである。はじめのうちはなんらの変化も認められないが、やがて次第に一つの財貨から他の財貨へと価格は騰貴してゆき、ついにはすべての財貨の価格がこの国にある貴金属の新しい分量にちょうど比例する点にまで達する。私の意見では、金銀の増加が産業活動にとって有利なのは、貨幣の取得と物価の騰貴との間の中間状態においてだけである。...彼ら〔貨幣を多く得た製造業者〕は以前よりも多くの労働者を雇うことができるようになる。というのは、その労働者たちはより高い賃金を要求することなどは考えも及ばず、このような良い支払いする者に雇われることに満足しているからである。労働者が希少になれば製造業者はより高い賃金を与えるが、しかしはじめは労働の強化を要求する。...貨幣は労働の価格を騰貴させるよりも前にまずあらゆる個人の勤勉を必ず増大させることが分かるであろう。」(38頁)
大事なポイントは、製品価格の上昇よりも賃金の上昇が遅れるというところにある。 そのズレの期間は利潤が増大するので、生産が活発になる。

貨幣論による経済理論の分類
経済理論は数量説と貨幣経済論を両極端として、その間のどこかに収まる。 大まかに位置づければ、次のようになる。

数量説      合理的期待形成学派
         古典派
         ヒューム
         マネタリズム
         重商主義
貨幣経済論    ケインズ

数量説は貨幣のコントロールは経済に影響を与えないという立場である。 したがって、上にいくほど、マクロ的な経済(金融)政策は無効という立場になる。


【私見】
重商主義者が金銀にこだわったのは、純粋に経済的要因というよりも 軍事的な判断によるものと思われる。 17、18世紀は重商主義戦争の時代であったから、 短期間で軍事物資を調達し、傭兵を雇うために、国庫に金銀を満たしておく必要があった。 ロックもこれに近い見解を述べているし、 ヒュームもそうである。「貨幣の相対的な豊富からなんらかの利益を得るのは国家だけであり、 それも外国と戦争や交渉をするときだけである」(33頁)。 このようなリアルな視点が重商主義者をして、金銀に固執させたと私は考えている (アダム・スミスでさえ同様の主張を行っている。WN1、500頁)。 通説となっている「金銀のみが富である」といった発想をとっていた重商主義者は、 ほとんどいないのではないだろうか。

他方、重商主義批判として使われた正貨配分論は机上の空論という性格がある。 例えば、金銀の増大が即、国内流通貨幣量の増大に結びつくとは限らない。 一時期のスペインなどは、輸入された金銀を貨幣に鋳造しなければならないという 法律があったが、全ての国が同じことを実行していたわけではない。 金銀のストックと流通貨幣量を比例させることを 「金本位制下のゲームのルール」と呼ばれることもある。 しかし、それは国際的な明文化されたルールではなかった。 第一次大戦後のアメリカは、貿易黒字を続けていたが、金準備を積みますばかりで、 流通貨幣量を増加させなかった。 これが国際通貨制度破綻の一因となり、第二次大戦の遠因になっていった。