新古典派経済学

新古典派経済学総論
「新古典派経済学 neoclassical economics」という名称は、アメリカ制度学派に属するヴェブレンが作り出したものである。ヴェブレン自身は主に、ケンブリッジ学派のマーシャルを念頭におきながらこの名称を用いた。しかし、今日、用いられている「新古典派経済学」という名称は、1870年代に生まれたケンブリッジ学派、ローザンヌ学派などを源流として、今日にまでおよぶ複数の学派の総称である。それぞれの学派は相互依存の度合いが強く簡単には分類できないが、代表的な学派はおおよそ以下のように区分することができる。
1870年代〜20世紀前半第二次大戦後
イギリスケンブリッジ学派
オーストリアオーストリア学派ネオ・オーストリア学派
スイスローザンヌ学派
スウェーデンスウェーデン学派
アメリカシカゴ学派(マネタリズム)
合理的期待形成学派

ここでは個別の学派に立ち入る前に、新古典派と総称される潮流の概要を整理しておこう。古典派経済学に対抗する学派として、ドイツ歴史学派とマルクス経済学を見てきた。これに対して新古典派経済学は、その名称から予想されるように古典派を継承する学派ということができる。ただし、その理論の組み立て方は古典派と大いに異なる。そこで、新古典派経済学に共通する方法的特徴と理念について概観しておく。

新古典派といっても中身は多様である。以下に概観する方法や理念は、今日の新古典派経済学の最大公約数的なものである。そのエッセンスは今日のミクロ経済学の教科書に凝縮されていると言えるかもしれない。個々の経済学者を取り上げた場合には、以下にあげる方法や理念からはみ出るケースも多々ある。例えば、マーシャルなどは「組織」を重視する。よって、必ずしも方法論的個人主義の枠に収まりきらないのである。

新古典派経済学の方法
■方法論的個人主義
個々の経済主体(生産者・消費者)の行動の総和として経済全体の動きが決定されると考える。これは経済観であると同時に、理論の構成の仕方にも反映されている。方法論的個人主義の背景には、新中間層の増大など階級区分の希薄化などを指摘することができるであろう。

方法論的個人主義と対になる考え方が方法論的全体主義である。古典派経済学やマルクス経済学は経済主体を個人としてではなく、階級(労働者階級・資本家階級・地主階級)として把握し、理論を構築した。ドイツ歴史学派の場合に中心におかれていたのは国民という集団であったと言えよう。

参考:古典派経済学と個人
古典派経済学の関心の中心は分配論にあり、そのために分析の視角は階級に向けられることになった。しかし、古典派経済学も必ずしも方法論的個人主義を否定していたわけではない。彼らもおおよそは、合理的な個人の集合としての社会という見方をとっていた。

■最適化仮説
個人は自己の経済的利益を追求する合理性を備えた主体として仮定されている。ここで言う「合理性」とは、「目的合理性」のことである。目的合理性とは、ある目的が与えられた場合に最適な行動を選ぶという意味である。新古典派の理論の中では、消費者と生産者はそれぞれ、前者は効用最大化する主体として、後者は利潤最大化する主体として仮定されている。そして、この主体の行動を理論化する道具として、「限界 marginal」概念が多用されるようになった(数学的には微分を用いた極大・極小問題として表現される)。

消費者行動論個人の効用最大化→個別的需要曲線→集計→社会的需要曲線>市場均衡
企業行動論個別企業の利潤最大化→個別的供給曲線→集計→社会的供給曲線

最適化仮説は理論の中で貨幣を捨象するという帰結をもたらした。最適化を実現する合理的な行動を行うためには、市場から得られる情報について貨幣的な現象に惑わされないという仮定も置かれることになる。例えば、所得も全ての商品の価格も全部がいっぺんに2倍に上昇したとしよう。これは名目的な変化にすぎず、実質的には何の変化もおきたことにならない。したがって、消費者や企業の行動には変化が生じない。このように新古典派経済学は考える。そのために、理論体系の中に貨幣は登場しない(計算単位として金額は登場するが、貨幣がなくとも理論的には影響がない)。

この考え方をもっと専門的に言えば、情報の完全性、あるいは不確実性のない市場を想定しているということになる。例えば、新古典派と異なって、ケインズの理論では貨幣は重要な役割を果たす。なぜならば、ケインズは株式市場や債権市場には将来の不確実性があるために、ひとびとは貨幣の形で資産を保有すると考えたからである。新古典派の場合には将来の不確実性は想定されない。新古典派の場合には、遠い将来の財や資産についても現在の市場で取引が行われると考える(異時点間の取引)。したがって、将来についての不確実性は原理的に退けられることになる。

■均衡概念
重要と供給の均衡が重視される。均衡は単に均衡点における価格や供給量・需要量の決定という意味だけではなく、社会の調和・秩序という意味合いも含んだものとして想定されていた。均衡は自動的に達成されうるものとして、理論化されていく。それは市場の自律性を理論化したものと言うことができる。需要と供給が均衡点に引き寄せられていくという発想の背後には、ニュートン力学の重力の考え方を見て取ることが可能である。

新古典派経済学の理念
■市場主義
新古典派と古典派はともに、市場主義とでも呼びうる理念を共有している。それは、個人が意図しない社会的秩序をもたらす制度として市場を肯定的に評価する姿勢である。 新古典派はさらにパレート最適(パレート効率性)という結論を引き出すことになる。パレート最適という状態はモデルの必然的な帰結である。だが、パレート最適が実現することをもって、市場を肯定する議論がある。これが市場主義の典型的な発想である。

後に見るようにケインズは市場の自己調整力を否定した。それゆえ、ここで言う市場主義をとっていたことにはならないので、新古典派経済学には入らない。なお、日本ではマルクス経済学と対になる「近代経済学(近経)」という用語があり、新古典派+ケインズ経済学の意味で使用されている。しかし、「近代経済学 modern economics」という名称は海外では通用しない(近代経済学に最も近い言葉は、 non-marxian economics かもしれない)。

古典派と新古典派
古典派経済学と新古典派経済学との間には市場主義のような共通性もあるが、異なる点も多い。古典派経済学(およびマルクス経済学)は経済成長と階級間分配に関心があった。これに対して新古典派経済学は交換と資源配分に関心があった。そのために、個々の商品の価格決定について精緻な理論を組み立てていくことになる。
新古典派と古典派との相違について詳しくはこちらも参照されたい。→ 古典派と新古典派