重農主義の背景
■コルベール主義
絶対王政の頂点とされるルイ14世期のフランスは、政治的には中央主権的な近代化を遂げつつあった。しかし、経済面では封建的な性格の強い地主が農村を支配していた。そのために零細な農民は困窮していた。財務総監や海軍大臣を務めたコルベール(1619-1683)が実行した重商主義政策は農村へのさらなる負担となっていた。
「コルベルティスム」と呼ばれるフランス重商主義は、貿易差額を増大させることで国富(=金銀)を増大させるために、国内工業の保護・育成を主要な柱としていた。そのしわ寄せが農村にかけられていたのである。
ロー・システム : 財政赤字に悩んでいたフランス政府は、スコットランド出身のジョン・ローが提案した新しい通貨システムを採用する。それが後にロー・システムと呼ばれることになる。土地や株式を担保に銀行券を発行し、この銀行券で国債の償還を行っていくのがロー・システムの骨格である。銀行券の供給により経済成長が可能になるという考えをローは持っていた。しかし実際のところは、銀行券増発→株価騰貴→銀行券増発 というバブルを巻き起こしただけで、1720年にロー・システムは破綻する。通貨の供給による経済成長というのはJ.スチュアートにも共通する考え方である。
ケネーと自然的秩序
フランソワ・ケネー:1694-1774。 パリ近郊の裕福な農家に生まれる。 パリ大学医学部で学び、外科医となる。 ルイ15世の愛妾ポンパドゥール夫人の侍医として活躍。 当時低く評価されていた外科医の地位向上に貢献したことで知られる。 また、ハーヴェイの血液循環論(1628)から、経済循環の着想を得たと言われることもある。 最初の『経済表』は1758年ごろ印刷されたと言われる。 ミラボーらとフランス啓蒙運動の一翼を担い、 『百科全書』に寄稿もしている。一時期アダム・スミスもケネーのもとで学んでいる。 以下引用は、『経済表』は平田清明訳(岩波)、それ以外は有斐閣版全集第3巻による。
■重農主義の思想
重農主義者は自らを「エコノミスト」と称した。この名称が英語のエコノミストになっていく。彼らはしばしば「自然の支配 フュジオクラシー(physiocratie)=physio(自然)+cracy(支配)」を主張した。これは人為的な支配のせいで歪んでしまった経済を自然の姿に戻すべきだとして「自然の支配」を主張したのである。この言葉をわが国では「重農主義」と訳しているが、むしろ「自然主義」とでも訳した方が適切かもしれない。
ケネーは経済も自然の支配に服すべきであると主張する。つまり、コルベール主義(人為的秩序)によって人為的に歪められた経済を自然な状態に戻せというのである。そのためには為政者は、自然な経済の状態を知る必要があるとケネーは述べている。
「国民は明らかに最も完全な統治を構成する自然秩序の一般法(一般法則)を教えられるべきである。為政者を養成するには、人定法規の研究だけでは十分ではない。行政の職に身を捧げる者は、結合して社会を構成する人々にとって最も有利な自然秩序の研究に従事することが必要である。」(『経済表』149頁)
経済の自然的秩序を具体的に描いたのが「経済表」である。とはいえ、経済表に描かれている世界は現実のフランス経済ではない。ケネーの言葉を用いれば「理想の農業王国」なのである。 以下、経済表の基本的な想定を列挙しておく。
経済表の想定と用語
■良価
経済表では、
「商業上の自由競争と農業の経営資本の所有が絶対安全とがつねにある場合に、
商業諸国民間に成立している価格」で売買が行われていると想定している(『経済表』74頁)。
このとき穀物については「良価」が成立する。
良価は生産費に一定の利潤を加えた価格である。
■純生産物
純生産物=売上高−必要経費
純生産物を生み出すのは農業だけ、とするところにケネーの特色がある。
つまり、製造業は費用を回収するだけで、剰余を生み出せないのである。
ケネーは製造業は自然を加工するだけで、新たな生産をしていないと見ていた。
ここから、農業に従事する階級を「生産階級」、
製造業に従事する階級を「不生産階級」と位置付けることになる。
「主権者および国民は、土地こそ富の唯一の源泉であり、富を増加するのは農業であることを決して忘れるべきではない。なぜなら富の増加は人口の増加を保証するからである。人間と富が農業を繁栄させ、交易を拡張し、工業を活気づけ、そして富の増加を永続させる。」(『経済表』150頁)
■3階級
生産階級=農業
不生産階級=商工業
地主階級=地主、主権者
ケネーの階級構造には、資本家と労働者は明示されておらず、隠れている。 したがって、生産階級といっても、その実態は農業資本家と農業労働者の 両方が含まれていることになる。 つまり、資本主義的農業がイメージされているのである。 ここにはフランスの北部にしか存在していなかった定額借地農制が投影されている。
■前払い
「前払い」は「原前払い」と「年前払い」の2種類がある。
「年前払い」は耕作労働への支出で、農業労働者への支払いと種子などからなる。
流動資本にほぼ相当する。
「原前払い」は農機具などで、固定資本にほぼ相当する。 毎年一定の割合で消耗するので、その分を補填しないと生産が継続できない。 この補填分のことをケネーは「原前払いの利子」と呼ぶ。
経済表
経済の自然的秩序を解明したのが「経済表」である。それは生産された富が売買されていきながら、再生産の継続(単純再生産)が可能になる様子を簡潔に図示したものである。ここではテキスト34ページ「経済表の範式」に即して説明しておく。
各階級が1年間に行う経済活動を最初に総括しておく。
生産階級: 「原前払い」100と「年前払い」20とを用いて、50の農産物を生産する。 ただし、「原前払い」のうち毎年、消耗するのは10%、すなわち10だけである。 農産物50のうち30を他の階級に販売する。また純生産物20を地主に地代として支払う。
地主階級は地代20を生産階級から受け取り、それで消費財(農産物10と製造品10)を購入する。
不生産階級は20の原材料(農産物)を加工し、同じ金額の製造品を生産し、販売する。
取引を各ステップごとに見ていく。(1),(2),(3),(4),(6)は範式の点線に対応している。(0),(5)は範式には明記されていない。
■農産物;○貨幣;▲製造品。それぞれ一つ10の価値を表す。
矢印は生産(および消費も含まれる)、[ ]は消費。
生産階級 | 地主階級 | 不生産階級 | |
---|---|---|---|
(0) | ■■▲ ↓ ■■■■■ | ○○ | ○ |
(1) | ■■■■○ | ○○ | ■→▲ |
(2) | ■■■■○ | ○[▲] | ○ |
(3) | ■■■○○ | ○ | [■] |
(4) | ■■○○○ | [■] | |
(5) | ■■○ | ○○ | |
(6) | ■■▲ | ○○ | ○(→▲⇒生産階級へ) |
(0)生産階級:農産物20(これが「年前払い」)、製造品10(これが「原前払い」の消耗分にあたる)を使用して、農産物50を生産する。なお、年前払い20のうち一部分は生活資料として消費する。
(0)の生産■■▲→■■■■■を解説しよう。範式にはこの関係が明示されていないが、生産的階級の欄の数字に陰伏的に示されているのである。範式の左上にある「年前払い」20が種子と食糧である(■■)。なお農機具(▲)は範式には表れていない。この不自然な▲については後ほど説明する。産出された農産物50■■■■■は、範式ではタテにならんでいる10,10,10,20に該当する。このように見ることで、■■(▲)→■■■■■が陰伏的に左欄にタテにならんでいることが分かるだろう。
(1)不生産階級は原料として農産物10を購入し、加工する。
(2)地主は不生産階級から製造品10を購入し、消費する。
(3)不生産階級は生産階級から生活資料として農産物10を購入し、消費する
(4)地主階級は生産階級から生活資料として農産物を購入し、消費する。
(5)生産階級は地主に地代20を支払う。
範式では地代の支払いは言葉で説明されているだけである。10、10、10のうちのどれか二つから地主への矢印を引けばよい(後の説明に便利なので下二つから引こう)。
(6)生産階級は不生産階級に貨幣10を支払い、製造品10を作成してもらいそれを購入する。
この(6)が範式では生産的階級の年前払い20と不生産階級10とを結ぶ線のように見えるので分かりにくい。これをケネーの間違いとして、そのためにその下の10から線を引くべきだとする見解もある(バウアー図式)。しかし、ケネー自身も線が20ではなく、その下の横線から引かれていることに注意を与えている。つまり20と10との交換ではないのである。大まかに言えば、バウアー図式のように理解しておいても問題ない。
ここで(0)のところに登場した不自然な▲について説明しよう。農機具▲は20の下の横線のところに隠れているのである。(6)について厳密に言うと、ケネーは磨耗した農機具の修繕のようなものをイメージしている(このことを「原前払いの利子」と呼んでいる。固定資本の補填分と言う方が理解しやすいだろう)。修繕の費用がかかるにしても、生産前も後も農機具は同じ状態でありつづける。だから売買を伴っていないので、範式の中には明示していなかったと考えられる。さて、(6)の点線であるが、結局は貨幣10を不生産階級に支払うことで、農機具の修繕を行うのであるから、実際の貨幣の動きに即すならば、下線の下の10から引いた方が分かりやすいのである。
【注意】:文献によっては商工業部門の付加価値がゼロであるかのように書いてある。しかし、商工業部門で純生産物が生まれないからといって、今日的な意味での付加価値がゼロであることを意味しない。ケネー自身も不生産階級が購入する農産物のうち半分は原料で、残りの半分は「その従事者の生活資料として支出する」(87頁)と述べている。商工業部門の経済活動全体を総括してみよう。■経済表のポイント
■■< 原材料10+付加価値10→▲▲ 生活資料10 今日的な意味では付加価値10を生み出しているのである。ただし、付加価値と等しい金額の生活資料を消費しているから、純生産物は確かに生まれていない。実は、農産物と製造品との価格の設定の仕方によって、商工業部門でも純生産物が生まれるモデルを作成することは可能である。
経済表は単純再生産を扱っているが、地主の製造品と農産物への支出割合を変化させることで、 拡大再生産へと拡張できることをケネー自身が示唆している。
「いま仮に、地主が自分たちの土地を改良し、自分たちの収入を増加させるために、 不生産階級よりも生産階級に対して、より多くを支出するならば、生産階級の労働に 用いられる支出のこの増加分は、この階級の前払いの追加と見なされねばならないであろう。」 (『経済表』83頁)
経済を循環(再生産)で把握しようとするケネーの考え方は、 19世紀のマルクス(再生産表式)や20世紀のレオンチェフ(産業連関表、投入産出表)によって 継承、発展させられていった。
【応用】:経済表は投入産出表のスタイルへと書きかえることができる。 投入産出表は縦に見ていくと、投入(中間生産物)+付加価値=産出物 となっている。 例えば、農業部門を縦にたどれば、農産物20と工業製品10を投入し、 付加価値20を生み出して、合計で50の農産物を生産していることが分かる。 また、横にたどると生産物がどこに需要されるか(売られていくか)が分かる。 例えば、農業部門を横にたどると、農産物のうち20は農業部門で需要され、 20は工業部門で需要され、最終需要(地主の需要)が10で、合計50の農産物が 需要されることが示されている。
ケネーの経済政策
■財政政策
財政赤字:赤字財政を批判した。
「国家は借り入れを避けること。借り入れ金は財政上のラント〔金利・定期的な支払い〕を 形成し、とどまるところを知らない借金を国家に負担させる」(『経済表』156頁)支出:単純な財政削減の主張ではなく、国富を増大させるのに役立つ支出を求めた。
「政府は節約に専念するよりも、王国の繁栄に必要な事業に専念すること。 なぜなら、多大な支出も富の増加のためであれば、過度でなくなりうるからである。 だが、浪費と単なる支出とは混同すべきではない。 というのも、浪費は、国民や主権者の富をすべて貪りかねないからである。」 (『経済表』156頁)
【注意】:ケネーが「レッセフェール」を求めたのではないことは明らかである。 王国の繁栄に必要事業として公共事業を重視している。 事実、中国の大運河建設を皇帝の偉業とたたえている。 ケネーは中国の開明的な専制君主を高く評価しており、「ヨーロッパの孔子」と呼ばれていた。 国王を改革の中心として、旧体制下の様々な特権階級を排除していくのがケネーの目標であった。 しかし、ケネーたちの試みは失敗に終わる。 「啓蒙専制のもとで経済近代化をはかろうとする時代は終わりました」(テキスト46頁)。土地単一課税:ケネーの議論では農業しか純生産物を生み出さない。 それゆえ、生産を破壊しない課税は、この純生産物にかけるしかない。 純生産物は結局、地主階級の収入となるので、地主階級のみが納税者になりうる。 当時の地主階級は特権をいかして様々な課税逃れをしていた。 それゆえ、「土地単一課税」は旧体制の構造改革を目指した極めてラディカルな主張であった。
「租税は、人間の賃金や諸財に課されないで、土地が生む純生産物に対して 直接課税されること。 もし、賃金や諸財に課されるならば、租税は徴税費を増加させ、商業を害し、 国民の富の一部を年々破壊するであろう。」(『経済表』150頁)■貿易政策
「交易の完全な自由が維持されること。なぜなら、最も安全かつ最も厳格であり、 国民と国家にとって最も利益をもたらすような国内交易と外国貿易の政策は、 競争の自由が完全であることに存するからである。」(『経済表』155頁)
重農主義の限界
ケネーの分析は農業セクターと商工業セクターの区分に依拠したために、
スミスやマルクスのように資本家と労働者の関係が不分明となった。
アダム・スミスは農業しか純生産物を生まないというケネーの想定を批判した。 この問題は穀物価格と製造品価格の設定に帰着する。 おそらく、低穀物価格政策批判を強く浮き立たせるためであろうが、 価格の分析を深めることなく、経済表では与件として扱われているにすぎない。 ちなみに、経済表の本質を変化させずに、工業でも純生産物が発生するような価格を設定することは 可能である(詳しくは、三土修平『経済学史』を参照せよ)。
改革の結末
ケネーたちの提案は、重農主義者で財務総監であったチュルゴーによって
実行に移されていく。
しかし、1776年に踏み切った穀物の取引自由化は、運悪く凶作に遭遇し、
穀価は暴騰し、フランスの南部では暴動が発生した。
チュルゴーは失脚し、重農主義の権威は失墜し、改革は頓挫してしまう。
結局、フランスは旧体制が継続し、1789年フランス革命という
ドラスティックな変革を経験することになる。