古典派経済学の展開

穀物法論争

1789年に勃発したフランス革命は急進化していく。1793年イギリスはプロイセン、スペイン、ポルトガル、スウェーデンとともに対仏大同盟を組織して、反革命戦争を開始する。フランス側にナポレオンが登場することで戦線はヨーロッパ全域に広がるが、1815年に戦争は終結する。

イギリスはもともと穀物輸出国であったが、産業革命開始期の1760年ごろから輸入国に転化していた。対仏戦争により輸入穀物価格は上昇し、ナポレオンによる大陸封鎖(1806年)がそれに拍車をかけた。穀物価格の高騰はイギリス国内の農業投資を活発化させた。しかし、戦争終結が近づいた1813年には大陸からの穀物輸入と豊作とがあいまって、穀価は暴落した。このために農業所得は激減し、多くの農業労働者が解雇された。議会は1815年に「穀物法」を改正させる。穀物法は穀価が下がったときに輸入小麦に高い関税をかけることで、国内の農業を保護しようとするものであり、地主階級の利害に立つ政策であった。

穀物法の改正に際しては、その是非をめぐって議会内外で様々な論争が繰り広げられた。政治的に実権を握っていた地主階級の利害をどうすべきか、あるいは進展しつつあった工業化をどう評価すべきか、等々の論点が提出されたのである。この論争が穀物法論争である。この論争で活躍したのが、穀物法改正を支持したマルサスと反対したリカードウであった。ともにスミスによりながら、リカードウは『国富論』から投下労働価値説を取り出すことで、他方マルサスは価値構成説を取り出すことで、全く正反対の議論を展開したのである。

リカードウの穀物モデル

リカードウ:(1772-1823)。 古典派経済学を確立した経済学者。 株の仲買人として大もうけし、片手間に経済学の研究も行った。 穀物法批判のために執筆した『利潤論』(1815)を発展させ、 階級間での分配問題を焦点にした体系的な『経済学原理』(1817)を著す。 数式こそ登場しないが、きわめて緻密な理論構成はその時代としては異色であり、 「宇宙人のようだ」と評された。 分配論はマルクスなどに継承され、貿易を扱った比較生産費説は新古典派へと継承される。 『経済学原理』の引用は雄松堂版『リカードウ全集』による。
穀物法論争において『利潤論』を執筆し、穀物法撤廃を主張したのがリカードである。 そこで用いられたのが、「穀物モデル」と呼ばれるモデルである。

簡略化して示せば次のようになる。 前提になっているのは、(1)土地の収穫逓減、 (2)マルサスの人口原理に由来する賃金の生存費説 (実質賃金は生存ぎりぎりの水準で決定される。 ∵この水準を越えると人口が増大し、結局、賃金は水準まで下落する。) が想定されており、かつ労働者は小麦だけを消費する。 また(3)農業生産では投入として労働だけが用いられるとする。

貿易がないとすれば、人口が与えられると食料生産量が決定される。 この需要に応じて農業部面では優等地から順に肥沃度の劣る土地へと資本が投下されていく。 生産物は賃金、利潤、地代に分配されるが、最劣等地では地代は発生しない。 生存費説により実質賃金は決定されているから、最劣等地の生産物から賃金部分を引けば、 残余が利潤ということになる。 つまり、利潤率が決定される。 競争の結果、全ての資本が等しい利潤率になるとすれば、最劣等地で決まった利潤率が 全ての土地における資本の利潤率を決定することになる (さらには工業部門の利潤率も決定する)。 肥沃度の高い土地では、生産物から賃金と利潤を引いた部分が地代として残る。 このように肥沃度の差に応じて生まれる地代を差額地代という。

さらに、人口が増大すれば、食料需要の増大に対応するために、より肥沃度の劣る 土地に資本が投下されることになる。 その結果、新たな最劣等地が利潤率を規定するために利潤率は低下し、 地代は増加していくことになる。

穀物モデルを数字例を用いて説明しておく。下記の表の数字は小麦量である(単位はq クォーター=約12.7Kg)。
ここでは単純化のために各土地において労働者が1人だけ働いているとしよう。 そして労働者は賃金として50qの小麦を受け取るとする。 最劣等地は地代を生まないから、総生産量は賃金と利潤とに分配される。

耕作拡張前
生産総量地代利潤賃金
第1等地100104050
第2等地9004050
耕作拡張後
生産総量地代利潤賃金
第1等地100203050
第2等地90103050
第3等地8003050

リカードウは輸入が行われないと、利潤率は低下していき、やがては蓄積が停止してしまうであろうと予測した。 これを防ぐためには、穀物を輸入して利潤率の低下を回避することが必要となる。

リカードウは地主階級の利害と資本家階級の利害とが対立することを 単純なモデルで示し、自由貿易が必要であることを示したことになる。

■マルサスの穀物法擁護論
リカードウの議論は生産性の低下、すなわち供給面に着目したものである。 これに対してマルサスは、工業製品への需要者は主に地主であると考えた。 それゆえ、自由貿易が実行されて地代収入が減少すると、 工業製品への需要が低下し、農業のみならず工業でも生産が縮小すると予想した。 また、マルサスは国の安全保障の観点からも、食料を海外に依存する危険性を主張した。

投下労働価値説

穀物モデルにおいては農業部門での投入(労働者の消費も含めて)と産出は穀物だけであった。 しかし、現実には労働者は穀物以外のものを購入するし、 また農業生産では農機具なども使われる。 それゆえ、より一般的な議論を行うためには、穀物に代えて価値論に立脚した分配論を 構築する必要があった。 こうして投下労働価値説を土台にした『経済学原理』が書かれることになる。

『原理』の主な章別構成を示せば、価値論(1)、地代論(2,3)、賃金論(5)、利潤論(6)、貿易論(7)、 租税論(8-18)となっている。

リカードウは経済学の目的と、これまでの経済学の欠陥を『原理』冒頭で次のように指摘している。

「大地の生産物....は、社会の3階級、すなわち、土地の所有者、その耕作に必要なストック つまり資本(キャピタル)の所有者、およびその勤労によって土地が耕作される労働者の間に 分割される。.... この分配を左右する法則を決定することが、経済学における主要問題である。 この学問は、チュルゴー、スチュアート、スミス、セイ、シスモンディその他の著作家に よって、大いに進歩したけれども、彼らは地代、利潤、賃金の自然の成り行きに関しては、 満足な知識をほとんど与えていない。」(『経済学原理』5頁)

スミスの価値構成説から分配の動向についての分析的な結論を導くことは不可能であると リカードウは考えた。 そこで、価値構成説に代えて『国富論』に含まれていた投下労働価値説を採用した。

「人間の勤労によって増加しえない物を除外するかぎり、これ〔労働〕が 実際に全ての物の交換価値の根底であるということは、経済学におけるも っとも重要な学説である。.... もしも商品に実現された労働量がその交換価値を左右するものとすれば、 労働量のあらゆる増加は、労働が投下されたその商品の価値を増加させ、 同様に減少は価値を下げる。」(『原理』16頁)

資本主義社会が成立すると投下労働価値説が成立しなくなるとしていた。しかし、リカードウは資本主義社会でも投下労働価値説が成立するとした。リカードウの投下労働価値説のポイントは、労働者が消費する生活手段の価値を賃金の価値と規定したところにある。すなわち、生活手段の中身(実質賃金)が不変であっても、それを生産する際に必要な労働量によって賃金の価値が決定されるという点にある。この議論はマルクスによって「労働力の価値」として継承されていく。

スミスの価値構成説(テキストでは「価格構成論」となっている)では、自然価格の構成要素の一つである賃金の価格が上昇すると商品の価格も上昇することになる。なぜならば、利潤率は賃金率と独立に決定されるから、賃金率の上昇が直接、利潤率に影響を与えることはないからである。これに対して、リカードウの採用した投下労働価値説の場合には、賃金の上昇は必然的に利潤の低下をもたらすことになる。

補足:スミスもそしてマルサスも上に述べたような議論を展開している。しかし、スミスもそしてマルサスも支配労働量によって自然価格を尺度しようとしていた。この議論を一貫させようとすると、生活手段の生産性の変化がどうであれ、また実質賃金の変化がどうであれ、労働者一人当たりの実質賃金は常に労働者一人分の労働を支配することになるから、論理必然的に不変であり上昇することはありえない。
差額地代論

投下労働価値説では、生産に必要な労働量によって商品の価値が決まる。それでは農業のように土地の質によって生産性が異なる場合には、どの土地が価値を決めると考えればよいのだろうか。リカードウは最劣等地の生産性が価値を規定すると考えた。この考え方は「差額地代論」という考え方と密接に結びついている。差額地代論とは最劣等地で投下された労働量によって穀物の価値が規定されることで、その価値を上回る優良地の産出分は地主が取得するという考え方である。

「〔最劣等地の商品の〕全価値は二つの部分に分割されるのみである。 一つは資本の利潤を、他は労働の賃金を構成する。....利潤は賃金が低 いか高いかに比例して高いか低いかであろう。」(『原理』128頁)
さて、リカードウの価値論は価値分解説と呼ばれることがある。 なぜならば、地代分を除外して考えれば、労働者が生み出した価値が賃金と利潤とに分解されると考えられるからである。こうした考え方はスミスとは異なる。スミスの場合には、賃金、利潤、地代の自然率が予め決まっており、それらの合計で商品の価値が決定される。これは価値構成説と呼ばれる。

ここで数字例を用いて分配の変動を説明しておこう。 まず最初に、先に取り上げた穀物モデルの表を再度掲載しておく。

耕作拡張前
生産総量地代利潤賃金
第1等地100104050
第2等地9004050
耕作拡張後
生産総量地代利潤賃金
第1等地100203050
第2等地90103050
第3等地8003050

小麦(q)で表されたこの表を、リカードウにしたがって労働価値に還元してみよう。

商品の価値は限界的耕作地における生産性によって決定されるとリカードウは考えた。
つまり、耕作拡張前ならば小麦の価値は第2等地で決定されることになる。 仮に投下労働量を100単位と仮定すれば、穀物1クォーターの投下労働価値は100÷90=1.11...となる。1物1価(同一のものは同一の価値を持つということ)が成立するから、第1等地の穀物も等しい価値を持つことになる。
耕作拡張前の穀物モデルを労働価値で表したのが下記の表である。 (小麦の量に1.11..(h/q)を掛けただけ)

耕作拡張前
生産総量地代利潤賃金
第1等地111.11..11.11..44.44..55.55..
第2等地100044.44..55.55..

耕作が拡張されると第3等地が小麦の労働価値を決定することになる。 今度は、100÷80=1.25(h/q)が穀物1qの投下労働価値となる。 先の穀物モデルに1.24(h/q)を掛ければ、投下労働価値に還元できる。

耕作拡張後
生産総量地代利潤賃金
第1等地1252537.562.5
第2等地112.512.537.562.5
第3等地100037.562.5

見て分かるように、労働価値に還元すれば、耕作の拡張につれて、賃金の価値が増大し、利潤が低下することになる。 また、第1、2等地では地代が増大している。 だが、この地代は純粋な増加ではない。

スミスの場合には、地代は自然の贈物(「自然が人間とならんで労働する」または「土地の多産性」)という発想がある(「資本の投下順序論」を見よ)。つまり、自然が人間に与えてくれた贈物が地代ということになる。 これに対してリカードウの差額地代論は地代を自然からの贈物とは見なしていなことになる。 第3等地が耕作されてはじめて、第2等地は地代を生じている。 したがって、自然の多産性という点では第2等地には変化がない。だから、自然の多産性に地代の原因を求めることはできないということになる。 差額地代論の観点からは、拡張前に資本家が受け取っていた利潤が、地主階級に移転されたものとして地代が把握されることになる。

■リカードウとマルクス
リカードウとマルクスはともに投下労働価値説を採用した。 投下労働価値についての基本的な考え方に両者の相違はない。 だが、そのねらいは全く異なる。 リカードウは地主の利害が他の2階級の利害と合致しないことを明らかにするために投下労働価値説を利用した。 一方マルクスは、資本家と労働者との対抗的な関係(搾取の存在)を明らかにするために投下労働価値説を利用した。上の表を見れば分かるように、賃金+利潤は拡張前も拡張後も100である。つまり賃金が増加すれば利潤が減少する(逆は逆)という関係がある。マルクスはここに労働者と資本家との利害の衝突を見いだしたわけである。

価値修正論
リカードウは自らの価値論に欠陥があることを理解しており、 その解決に晩年まで苦労した。 その問題は「価値修正論」と呼ばれる。

投下労働価値説では労働量が等しければ、商品の価値は等しくなる。 しかし、利潤率が等しくなるように価格が決まれば、商品の価格は投下労働量に 比例しなくなる。 リカードウの弟子たちが簡略化した例を使って説明すれば、 例えば、それぞれ10時間の労働を投下して、ぶどう酒を2樽仕込んだとする。 このときそれぞれ100万円の費用がかかったとしよう。 一樽は1年目に販売して、もう一樽は2年目に販売したとしよう。 仮に年間の利潤率が10%であるすれば、最初のぶどう酒は110万円で販売されるが、 2年熟成させたぶどう酒は121万円で販売されることになる。 こうして、同じ投下労働量で製造された商品が異なる価格で売られることになる。

リカードウは流動資本(賃金)と固定資本(機械)との構成が異なる場合に、 利潤率の変動が価格にどのように影響を与えるか、あるいは機械の耐久性が異なる場合に 価格がどのように投下労働量から乖離するかを問題にした。 しかし、投下労働価値説はおおよそは正しいとしながらも、 結局リカードウは価値修正論を解決できなかった。

「諸諸品の価値変動の原因を評価するにあたっては、労働の騰落によってもたらされる 影響を全く考慮外におくことは間違いであろうが、それにあまりに重きをおくことも 同様に正しくないであろう。」(『原理』41頁)

リカードウを悩ました価値修正論は、同じく投下労働価値説を採用したマルクスにより 解決が図られることになる。 マルクスは価値の次元と生産価格の次元とを区別することで、 資本主義社会の階級関係を価値の次元で説明して、現実の商品の価格を生産価格の次元で 説明した。 しかし、マルクスは価値と生産価格がいかなる関係にあるかを厳密に説明することは できなかった。 こうした課題は20世紀の数理マルクス経済学者の手に委ねられていく。

補足:リカードウの価値修正論の数字例は分かりにく、また前提が一貫していないという 問題もある。価値修正論の事例を数学的にクリアに説明したものとして、 三土修平『経済学史』第4章、同『初歩からの経済数学』第12章を挙げておく。

労働者の生活習慣
スミスの自然価格と市場価格の区別をリカードウも踏襲している。 リカードウにとってとりわけ重要なのは、賃金の自然価格と市場価格の区別である。 大枠ではマルサスの人口論を受け継いでいたリカードウは、人口を一定に保つ賃金水準を 賃金の自然価格と考えていた。  (リカードウが「労働の自然価格」を議論するときには、 生活資料を労働価値で計る場合と、生活資料の実物での大きさを問題にする場合があり、 やや混乱している。ここでは後者の意味で用いる。)

蓄積により労働需要が増加すると、賃金の市場価格は自然価格を上回るようになる。 そうすると、人口は増加しやがては自然価格にまで賃金は低下すると想定していた。 ここまでは、マルサスの人口原理を踏襲していると言える。 しかし、リカードウは人口が増加するには時間がかかるから、市場賃金は自然賃金を 長期間にわたり上回ることがあると考えていた。 どれだけの期間上回っているかを左右するのは、労働者が賃金の上昇を生活水準の 上昇に振り向けようとするか、それとも子供を増やすのに振り向けるかによって決まる。 言いかえれば、労働者が生活習慣を変えて、高い生活水準を維持するために、 人口増加を抑制するならば、賃金は長期間にわたり低下しないことになる。 生活水準が上昇することは、賃金の自然価格が上昇したことを意味する。

「社会が進歩するにつれて、その資本が増加するにつれて、労働の市場賃金は上昇するで あろう、しかし、その上昇の永続性は、労働の自然価格もまた騰貴したかどうかの問題に 依存する。」(『原理』112頁)
リカードウが好ましいと考えた生活水準の上昇は、労働者が食料だけではなく、 様々な慰安品や享楽品(製造品)を消費することで実現できる。
「人道の友としてはこう望まざるをえない。すなわち、全ての国で労働者階級が慰安品や 享楽品に対する嗜好を持つべきであり、そしてそれらの物を取得しようとする努力が、 あらゆる合法的手段によって奨励されるべきであると。 過剰人口を防ぐには、これよりもよい保障はない。」(『原理』116頁)

■マルサスの労働者像
リカードウのこうした想定は、実はマルサスも共有していた。 マルサスも労働者階級が人口を増やす代わりに、生活水準を上昇させる習慣を形成してくれる ことを希望していたし、その可能性を認めていた。 しかし、情念不変論を強く持っていたために、リカードウほど楽観的な展望を持つことはなかった。

リカードウの周辺にはジェームズ・ミルやフランシス・プレイスなどの 急進主義者たちがいた。 彼らは、マルサスが考えた道徳的抑制は非現実的であり、 避妊による産児制限を行うことで、労働者が人口抑制することを期待していた。 こうした考え方は「新マルサス主義」と呼ばれる。 当時の社会通念では避妊は非道徳的な手段であった。 リカードウもその宣伝には否定的な立場をとっていた。

分配の動向
「機械の改良、分業および労働配分の改善、生産者の科学および技術の両面における 熟練の増進によって、相殺されてなお余りある」(『原理』110頁)から、 たとえ原材料の価値が上昇しても工業製品の価値は低下していくと予想している。 しかし、農産物については肥沃な土地には限りがあるから、価値の上昇は避けがたいと 考えていた。 そして、いつかは利潤がなくなり蓄積が停止するであろうと予測した(停止状態)。

「利潤の自然の傾向は低下することにある。というのは、社会が進歩し 富が増加するにつれて、必要とされる食物の追加量は、ますます多くの 労働の犠牲によって取得されるからである。....必需品の価格と労働の 賃金との上昇には制限がある。....というのは、賃金が農業者の全収入 に…等しくなるやいなや、蓄積は終わりを告げなければならないからで ある。」(『原理』141頁)

このようにリカードウは農業部門の生産性低下が経済成長のネックであることを明らかにした。 資本家も労働者も自由貿易からメリットを受けることになる。 こうして、地主のみが社会全体の利害に対立するという図式が描かれることになる。

比較生産費説
さらにリカードウは自由貿易のメリットを説くために「比較生産費説」(比較優位説とも言う) という議論を展開した。 この議論のポイントは、貿易を行う両国が比較優位を持つ産業に生産を特化することで、 両国がともに貿易から利益を受けるというところにある。

リカードウは自由貿易が国際分業を引き起こすことで、 世界全体が普遍的な利益を得つつ結びついていくことを強調した。

「完全な自由貿易制度のもとでは、各国は当然その資本と労働を自国にとって もっとも有利となるような用途に向ける。 ...それは労働をもっとも有効にかつもっとも経済的に配分する。 一方、諸生産物の全般的数量を増加させることによって、それは全般の利益を 普及させ、そして利益と交通という一つの紐帯によって、文明世界を通じて諸国民の 普遍的社会(universal society)を結びつける。」(『原理』156頁)

簡単な数字例で比較生産費説を説明しておく。 ここでは貿易している国はX国とY国、商品はA,Bの2種類のみとする。 今、両国とも下記のような労働者数で、商品A,Bを1単位ずつ生産している (収穫一定であるとする)。

X国Y国
商品A300人120人
商品B200人180人

ここでX国の生産可能性フロンティアを考えてみよう。 A商品の生産量をA単位、A商品を生産している労働者をa人とする。 B商品の生産量をB単位、B商品を生産している労働者をb人とする。
収穫一定が仮定されているから(つまり労働者数に生産量が比例するから)、
A=a/300   (1)
B=b/200   (2)
労働者数は全部で500人だから、
a+b=500   (3)
a、bを消去すれば、300A+200B=500 となる。
この式は労働者の配分を変化させることで、二つの商品の生産可能な組み合わせを 意味していることになる。 この式を生産可能性フロンティアと呼ぶ。

同様にしてY国についてもフロンティアを求めて、両国のフロンティアのグラフを 書いてみよう。 一方のグラフの線上に他方のグラフの原典を重ね合わせて、 移動させていくと、両国全体での生産可能性フロンティアとなる。

比較優位がある部門に完全特化したとしよう。 収穫一定が仮定されているから、完全特化後は次のように生産が行われる。

X国Y国
商品A0単位2.5単位
商品B2.5単位0単位

仮に商品Aと商品Bが両国の間で1対1の比率で交換されるとしよう。 そしてX国から商品B1単位が輸出され、 Y国から商品A1単位が輸出されたとしよう。 そうすると両国の消費量は以下のようになる。

X国Y国
商品A1単位1.5単位
商品B1.5単位1単位

こうして両国ともに貿易以前よりも消費量が増えている。 つまり絶対的には生産性が劣っている国であっても、貿易のメリットを享受できることになる。 さて、ここでは投下労働価値説は使用されていない。 リカードウの理論では両国の間での商品の交換比率は決定できないのである。 比較生産費説は交換比率も決定できる相互需要論として整備され、 今日の貿易論の基礎になっている。

マルサスの不況論
リカードウは農業の生産性低下に経済成長の制約を集約させ、自由貿易擁護論を 展開した。 さらには議会改革をも展望していた。

リカードウ『原理』に対抗して1820年にマルサスも『経済学原理』を刊行する。 そこでは需給論が体系の中心におかれ、とりわけ需要を重視するものであった。 マルサスはリカードウと異なり、需要不足による蓄積の障害を問題にした。

資本家や地主は不生産的労働者を雇用せずに、貯蓄(=投資・蓄積)したとする。 人口増加を上回る蓄積が行われたとすれば、不生産的労働者が生産的労働者に転換される その結果、生産的労働者が増大するから供給は増大する。 他方で、労働者である以上は、生産的労働者であろうが不生産的労働者であろうが、 労働者全体の需要に相違はない。 また、不生産的労働者の減少は地主や資本家の奢侈品への需要を減退させると マルサスは見ていた(例えば、馬車の御者を減らせば、馬車への需要が減る)。 こうして社会全体での需要は減少しているのに、供給は増えるから、 生産と消費とのバランスが崩れ、商品価格は下落し、不況が発生する。 このようにマルサスは過剰の蓄積が不況の原因となることを指摘した。

スミスは貯蓄を美徳と考えていた。その背後には、生産されたものは必ず販売できるという 「セイ法則」という考え方がある。 リカードウもこのセイ法則に依拠していた。 一方マルサスは過度の貯蓄による需要不足を認めており、セイ法則を受け入れていなかった。 こうした需要に着目する見方として、 マンデヴィル→マルサス→ケインズの系譜を指摘することができる。