古典派経済学の成立(続き)

『国富論』の構成

『国富論』の初版は1776年の刊行である。スミスの生存中に5版まで版を重ねる。世界中で読まれ、これまでで最も影響力の大きかった経済学の書物と言えよう。

『国富論』は序論と5つの篇からなっている。その内容を今日的な表現で示せば下記のとおりである。

 序論
 1篇 経済理論(分業論・価格論・分配論)
 2篇 経済理論(蓄積論)
 3篇 経済史(重商主義政策批判)
 4篇 経済学史(重商主義学説批判)
 5篇 財政論

一般的には1,2篇が理論、3篇が歴史、4,5篇が政策と分類される。しかし、『国富論』の主要なテーマである重商主義批判は、4,5篇だけではなく、全篇を通じて展開されている。

富裕の一般化論
『国富論』は次のような書き出しではじまる。

「国民の年々の労働は、その国民が年々消費する生活の必需品と便益品のすべてを本来的に供給する源であって、この必需品と便益品は、つねに労働の直接の生産物であるか、またはその生産物によって他の国民から購入したものである。/したがって、これを消費するはずの人々の数に対して、この生産物またはそれで購入されるものの割合が大きいか小さいかに応じて、国民が必要とするすべての必需品と便益品が十分に供給されるかどうかが決まるであろう。」(WN1,1頁)

金銀の大きさや、貿易黒字の大きさではなく、言い換えれば重商主義的な関心ではなく、国民一人当たりの「必需品と便益品(conveniences)」の量こそがスミスの関心であることが冒頭で宣言されている。さらに必需品と便益品はそれを生産する労働と結び付けられて考察されていることにも注意しよう。

国民のうちで労働する人の比率が高くとも、一人当たり生産物量が大きくなるとは限らないことが次に示される。この議論は直接には同時代人のフランス人ルソーの商業社会批判に対する回答となっている。ルソーは、商業社会が生み出す不平等をもって、商業社会批判を展開していた。この問題提起に対してスミスは、「富裕の一般化」と呼ばれる考え方をもって答えた。それは、商業社会には不平等は存在するが、最底辺の人間でさえも平等な未開社会の人間よりは富裕であるという議論である。

「狩猟民や漁労民からなる野蛮民族の間では、労働に耐えることのできるものは誰でも、多かれ少なかれ有用労働に従事して、自分自身のために、また自分の家族や種族の中で歳をとり過ぎていたり、あまりにも若ったり、ひどく貧弱であったりして漁や狩に出かけられない人のために、必需品や便益品を供給しようとできる限りの努力をする。しかし、そのような民族は惨めなほどに貧しい。....これに反して、文明が進み繁栄している国民のあいだでは、多数の人々は全然労働しないのに、このうちの多くの者は働いている人々の大部分に比べて10倍もの、しばしば100倍もの、労働生産物を消費する。それでもなお、その社会の全労働の生産物はたいへん豊富なので、すべての人々にたいする供給は豊かな場合が多く、最も低く最も貧しい階層の職人ですら、もしかれが倹約家で勉強家であるなら、どんな野蛮人が獲得できるよりも多くの生活の必需品と便益品の分け前を享受できるほどなのである。」(WN1、2頁)

このように最下層の人々の生活水準の上昇があるからこそ、不平等を生み出す商業社会も肯定できると述べている。すでに見たように、貧者へ施しを与えるべきだという分配的正義をスミスが直接、主張することはなかった(消極的正義)。しかし、この引用が間接的には、分配的正義について述べていることは理解できるだろう。意図せずに、すなわち結果的に、商業社会は貧困の問題を解決するはずだ。これがスミスの考え方なのである。

序論では、富裕が最底辺にまでおよぶメカニズムの説明はない。それを解明するのが第1,2篇である。

■補足:ルソー問題
「人間の不平等の起源は何か、それは自然法により是認されるか?」という懸賞論文 への応募作がルソー(1712-1778)の『人間不平等起源論』(1755)であった。 この作品はイギリスでも反響を呼び、スミスも大きな関心を寄せた。 この著作は文明社会(商業社会)と未開社会とを比較し、 文明社会が不平等と抑圧の体制であることを批判した。 文明社会の実定法が生み出した私有財産制度は、不平等の起源であるがゆえに、 「明らかに自然法に違反している」とルソーは結論付けた。 ここには、自然法により商業社会を擁護したロック批判のねらいもあることが理解できるであろう。
「社会と法律は弱い者には新たな拘束を、富める者には新たな力を与え、自然の自由を 永久に固定し、巧妙な横領を取り消すことのできない一つの権利とし.... 人類全体を労働と隷属と悲惨とに屈服させた」 (『世界の名著ルソー』収所『人間不平等起源論』、167頁)
すでに見たように、スミスは富裕の一般化論をもってここに反論を加えたわけである。 しかし、ルソーの問いはきわめて射程が長く、スミスが勝利したとは必ずしも言えないように思われる。 次のような文明社会の批判は、スミスの『道徳感情論』を予想しているかのようにさえ見える。
「未開人は自分自身の中で生きているのに対して、 〔文明社会に生きる〕社会人は常に自分の外にあり、他の人々の意見のなかでしか 生きられない。そしていわば、彼は自分自身の存在の感情を、 他人の判断のみから引き出しているのである」 (『世界の名著ルソー』収所『人間不平等起源論』、184頁)

経済理論篇の枠組
経済理論篇すなわち、第1篇、第2篇の大まかな枠組をまとめておこう。 第1篇では、高賃金や分業によって生産力が高まり、経済成長にプラスに作用すること、また逆に経済成長が高賃金や分業を促進することが説明される。 第2篇では、商業社会では経済成長の必要条件である節約(投資)が実行された結果、生産的労働に従事する比率が高まるることが示される。次のようにスミスはそれぞれの課題を要約している。

「〔一人当たりの豊さを決定する要因は〕 第1は、国民の労働が普通行われる際の熟練、技能、判断力の程度如何であり、また第2は、有用な労働に従事する人々の数と、そのような労働に従事しない人々の数との割合である。.../この供給が豊かであるか乏しいかは、右の二つの事情のうち、後者より前者のほうにいっそう多く依存しているように思われる。」(WN1、1頁)

富裕の一般化の議論から予想できるように、スミスは生産力の高さの方が、富裕を決定する重要な要因であるとしている。スミスは生産力を高める分業の分析から『国富論』を説き始める。

分業論・交換論
スミスは有名なピン製造マニュファクチュアの事例をもって、分業が飛躍的な生産性の上昇をもたらすことを指摘し、分業それ自体による生産性上昇に加えて、分業が機械などの発展をもたらし、それが富裕を下層民にまで行き渡らせる原因であるとする。

スミスとて19世紀に発展していく機械制大工業は知りえなかった。 しかし、機械の発明が重要であるという認識は持っていた。 ちなみに、スミスは『法学講義』において、排他的な所有権を守るという観点から、 14年間を期間とする既存の特許制度を正当化している(LJ,p.11)。 今日の「知的所有権」の先駆的な主張と言えよう。

「〔もし分業がなければ〕彼らは一人当たり一日に20本のピンどころか、 1本のピンさえも作ることはできなかったであろう。 言いかえると、様々な作業の適切な分割と結合によって現在達成できる量の 240分の1はおろか、その4800分の1さえも、作りえなかったであろう。」(WN1、12頁)
「よく統治された社会では、人々の最下層にまで富裕が広く行き渡るが 、そうした富裕を引き起こすのは、分業の結果として生じる、様々な技 術による生産物の巨大な増加に他ならない。」(WN1、20頁)

ピン製造所の例は作業場内での分業であるが、同時に社会的な分業の縮図でもある。 社会的な分業が成り立つためには、必要なものを交換できなければならない。 スミスは人間には「交換性向」という本性があると見ていた。 この交換性向が分業を生み出す要因であるとした。 交換性向は利己心に由来するもので、社会全体の利益などを考慮するものではない。 すでに述べた、「意図せざる結果の論理」が、ここでも登場する。

「こんなにも多くの利益を生むこの分業は、もともと、それによって生 じる社会全般の富裕を予見し意図した人間の知恵の所産ではない。分業 というものは、こうした広い範囲にわたる有用性には無頓着な、人間の 本性上のある性向、すなわち、あるものを他のものと取引し、交易し、 交換しようとする性向の、緩慢で漸進的ではあるが、必然的な帰結なの である。」(WN1、24頁)
分業の確立によって生まれるのが「商業社会」である。それは、生産物の交換そのものが社会を成り立たせている社会である。モノとモノとの交換を通じて人々が関係しあう社会である(マルクスはこれを物象的依存関係と呼んだ)。この社会においては、人と人との関係は、自らの利益を追求する商人同士の関係となる。商業社会は、他人の博愛心や利他心に頼るのではなく、他人の利己心に訴えていくことで成立するドライな社会である。
「分業がひとたび完全に確立すると、人が自分自身の労働の生産物によって満たすことができるのは、彼の欲望のうちのごく小さい部分にすぎなくなる。自分自身の労働の生産物のうち自分自身の消費を上回る余剰部分を、他人の労働の生産物のうち自分が必要とする部分と交換することによって生活し、言い換えると、ある程度商人となり、そして社会そのものも、まさしく商業社会と呼べるようなものに成長する。」(WN1,39頁)
「文明社会では、人間はいつも多くの人たちの協力と援助を必要としているのに、 全生涯を通じてわずか数人の友情をかちえるのがやっとである。 ...ところが、仲間の助けをほとんどいつも必要としているが、 その助けを仲間の博愛心にのみ期待しても無駄である。 むしろ、それよりも、もし自分に有利になるように仲間の自愛心を刺激することができ、 そして彼が仲間に求めていることを仲間が彼のためにすることが、当人自身の利益にもなる のだということを、仲間に示すことができるのなら、そのほうがずっと目的を達成しやすい。 ...われわれは自分たちの食事をとるのに、肉屋や酒屋やパン屋の博愛心による のではなく、彼ら自身の利害に対する彼らの関心による。 われわれが呼びかけるのは、彼らの博愛的な感情に対してではなく、 かれらの自愛心に対してである」(WN1、25頁)

貨幣論
分業が進展するにつれて、交換を容易にするものが必要となる。 「ほとんどの人が彼らの勤労の生産物と交換するのを拒否しないだろう」商品を 手元に貯えるようになる。これが貨幣の起源である。 スミスは商業社会において貨幣は必要なものと見ているが、 それ自体を国富と考えていない。 金銀を国富と見た重商主義者を批判して次のように述べている。

「貨幣は、それ自体は社会の収入のいかなる部分でもない。しかも、こ の貨幣を媒介にして、社会の全収入が様々な成員の間に規則的に分配さ れるのである。流通のこの大車輪は、それを媒介にして流通する財貨と はまったく別のものである。社会の収入は全てこれらの財貨から成立っ ていて、これらを流通させる車輪から成立っているのではない。」(WN1、442頁)
貨幣が登場することで、商品は価格表示されることになる。 しかし、貨幣による価格表示は名目価格でしかなく、 「商品の真の価格」は何で計られるか、を問題にする。 すなわち「価値尺度」の設定問題である。 スミスは真の尺度は「労働」であるとした。 これを「支配労働尺度」と呼ぶ。「支配(command)」とは、購入するという意味である。 今日的に言えば、価格デフレーターとして賃金率を選択したということになる。
「あらゆるものの真の価格、すなわち、どんな物でも人がそれを獲得しようとするにあたって本当に費やすのは、それを獲得するための労苦と骨折りである。あらゆるものが、それを獲得した人にとって、またそれを売りさばいたり他の何かと交換したりしようと思う人にとって、真にどれほどの価値があるかといえば、それによって他の人々に課することができる労苦と骨折りである。....富の価値は、この富を所有し、それをある新しい生産物と交換しようと思う人たちにとっては、そうした人たちがそれで購買または支配できる労働の量に正確に等しい。」(WN1、52頁)

■スミス価値論の混乱
上記引用箇所には、価値の決定要因の議論と、決定された価値の尺度の議論との混同がある (1)投下労働量で価値が決定されるとする投下労働価値説が、 (2)名目価値のデフレーターの選択である尺度論の中に混在している。 前者は生産の段階で決まる価値を問題にしているが、 後者は交換された商品の価値を問題にしているといえよう。

(1)商品Aと商品Bの投下労働量が同じ→商品A=商品B
(2)商品Aの真実価値は商品Aで購入できる労働量(商品Aの真実価値=商品Aの価格÷貨幣賃金率)

後にマルクスはスミスの価値論の2面性を問題にし、投下労働価値説だけを正しい価値論とした。それゆえ、投下労働価値説を継承した系譜である スミス→リカードウ→マルクス というラインこそが経済学の正しい発展であると見なす考え方がわが国では強かった。しかし、スミスの議論の大半は尺度論であって、投下労働価値説はごくわずかしか論じていない。スミス自身も投下労働価値説は未開社会に妥当するだけで、資本や土地の所有がはじまると、投下労働価値説は妥当しなくなると明言している。ちなみに、資本主義社会においては、商品Aの支配労働量>商品Aの投下労働量 となる。

自然価格論

分業の進展から資本主義の認識へと議論が進んでいく。分業が進展していくにつれて、生産物の販売までの期間、「職人を扶養し、仕事の材料と道具を供給するのに十分なストック」がすでに貯えられて(蓄積されて)いなければならない。ストックからの利潤がなければ、ストックを貯えようとする人間はいないであろう。こうして、資本ストックを供給する資本家階級とその収入である利潤が説明される。同様にして、土地を私有する土地所有階級とその収入である地代が説明される。

さて、スミスは需要と供給で決まる「市場価格」と、生産者が長期的に供給を続けられる「自然価格」とを区別した。賃金、利潤、地代には、その場所と時代において「自然率」という平均的な率があり、その3者の合計で自然価格が決定されると考えた(「価値構成説」と呼ばれる)。また、自然価格での需要量のことを「有効需要」とスミスは呼んでいる。仮に、供給量が有効需要を下回れば、市場価格は自然価格を超過する。このとき賃金、利潤、地代のいずれかは自然率を越えて上昇するので、供給量を増加させることになる。その結果は、市場価格はいずれ低下し、自然価格水準に向かうことになる。逆は逆である。

「もし市場にもたらされる数量が有効需要に足りないような場合には、価格の構成部分のあるものは、その自然率以上に上昇するに違いない。もしそれが地代であるならば、他の地主たちの利益への関心が自然に彼らをうながして、こうした商品を作るために一層多くの土地を提供させるであろう。もしそれが賃金や利潤であるならば、他の全ての労働者や商人の利益への関心がそれを製作し、市場にもたらすために一層多くの労働と資本を用いさせるであろう。市場へもたらされる数量は、まもなく有効需要を満たすのに十分となるだろう。その価格のそれぞれの部分はすべて、まもなくその自然率へと下がり、価格全体としてはその自然価格まで下がるであろう。/自然価格というのは、いわば中心価格であって、そこに向けて全ての商品の価格がたえず引きつけられていくものである。」(WN1、98頁)

それでは、賃金、利潤、地代の自然率はどのように決まるのであろうか。「社会の貧富、その進歩、停滞、衰退の状態に依存する」(WN1、107頁)とスミスは考えた。経済の進歩は賃金と地代の自然率を引き上げ、利潤の自然率を低下させる。これがスミスの結論である。

高賃金論
賃金は家族の扶養を可能にする水準−−スミスは子供二人を育てられる水準を想定している−−が、それ以上、賃金を引き下げえない最低水準であるとする。労働に対する需要が増大するときには、この水準よりもかなり高いところにまで賃金率を引き上げうるとスミスは述べている。重要なことは、国富の絶対的な大きさではなく、経済成長率が賃金の自然率を規定すると見なしている点である。

「労働の賃金の上昇をもたらすのは、国民の富の現実の大きさ如何ではなくて、富 の恒常的な増加である。だから労働の賃金は、もっとも富裕な国においてではなく、 もっとも繁栄しつつある、いいかえるともっとも急速に富裕となりつつある国にお いて最高となる。イングランドは確かに現在では北アメリカのどの地方よりも大い に富裕な国である。けれども労働の賃金は北アメリカの方がイングランドのどの地 方と比較しても大いに高い。」(WN1、118頁)

この賃金の見方は「高賃金の経済論」と呼ばれる考え方と結びついている。スミス以前の重商主義者たちの間には、低賃金肯定論が多かった(コルベールなど)。なぜならば、低賃金であれば製造コストが低くなり輸出競争力が強まるし、また低賃金であれば労働者が生活の維持のために長時間労働せざるをえなくなるからである。しかし、社会の幸福という観点からは、高賃金が望ましいという考え方をスミスは提起した(なお、賃金率の高低は当然のことながら支配労働ではなく、購買できる商品量で比較されている)。この議論が序文の富裕の一般化論と対応していることは明らかであろう。

「奢侈が最下層の人々にまで広がっているとか、今では労働貧民たちは 以前に満足していたのと同じ衣食住ではもはや満足しないだろう、とい う不平をよく耳にする……。下層の人々の生活条件がこのように改善さ れたことは、社会にとって利益と見るべきか、それとも不利益と見るべ きか。答えは明らかである。様々な使用人、労働者、職人は全ての巨大 な政治社会の圧倒的大部分を構成している。この大部分の者の生活条件 を改善することが、その全体にとって不都合と見なされるはずはない。 どんな社会も、その成員の圧倒的大部分が貧しく惨めである時に、隆 盛で幸福であろうはずはない。」(WN1、133頁)
高賃金は労働者の生活条件の改善だけではなく、労働者の勤勉をも刺激し、生産力の上昇に繋がるとも考えていた。『国富論』において生産力を規定する要因には、(1)分業だけではなく、(2)高賃金も含まれているのである。
「豊かな労働の報酬が〔人口〕増殖を刺激するように、庶民の勤勉も増 進させる。労働の賃金は勤勉の刺激剤であって、勤勉というものは…… それが受ける刺激に比例して向上するものである。生活資料が豊富であ ると労働者の体力は増進する。また、自分の境遇を改善し、自分の晩年 が安楽と豊富のうちにすごせるだろうという楽しい希望があれば、それ は労働者を活気づけて、その力を最大限発揮させるようになる。」(WN1、138頁)

利潤率低下論
スミスは経済が成長すると利潤率は低下していく傾向があると考えた。 その理由を競争の増大で説明している。すなわち、同一事業で資本ストックの増加があれば利潤率は低下する。だから、社会全体でも利潤率の低下傾向があると考えたのである(今日的な観点から見れば、理論的には飛躍があると言わざるをえないが)。

「賃金を騰貴させる資本(ストック)の増加は、利潤を引き下げる傾向がある。多数の富裕な商人の資本が同一事業に振り向けられる時、彼ら相互の競争は自然にその利潤を引き下げる傾向がある。また、同じ社会で営まれる種々様々な職業において、同じような資本の増加がある時は、同じ競争がこれら全ての事業で同じ効果をもたらすに違いない。」(WN1、148頁)
利潤率の低下を考えた背景には、 (1)利潤を取得する階層は社会の利害とは合致しないという考え方と (2)賃金上昇の相殺要因としての利潤低下という考え方の二つが指摘できる。 後者については次のように述べている。
「富裕をめざして急速に進んでいる国々では、低い利潤率が多くの商品価格の面で、 労働の高い賃金を相殺するであろう。また、この低い利潤率のために、これらの国 々は、そこまでは繁栄しておらず、労働の賃金もずっと低いと思われる隣国と同じ ように、安く売ることができるであろう。」(WN1、163頁)
つまり、高賃金肯定論を補足する議論として、利潤率の低下論を唱えているのである。

ヒュームもまた、スミス同様に競争の増大による利潤率低下論を唱えていた。「商業が広範になり、大資本を用いるときには、商人たちのあいだに競争関係が生ずるに違いなく、それは、大資本が交易自体を増大させると同時に、交易の利潤率を低下させる」(「利子について」)。スミスはこのヒュームの考え方を継承していたと考えられる。なお、低下のメカニズムは異なるにせよ、利潤率が低下していくという結論自体はは、リカードウ、マルクス、ワルラスなど、その後の多くの経済学者が抱いていた考え方でもある。

蓄積論
スミスは労働者を「生産的労働者」と「不生産的労働者」に区分する。 前者は有体物を生産する労働者で、後者はサービスを生産する人たちである。 農民や製造工は前者の代表である。 社会的には必要であっても、有体物を生産しなければ不生産的であると区分される。 軍隊、聖職者、法律家、医師、俳優、家事使用人、これらの生み出したサービスは、 「生産される瞬間に消滅してしまう」(WN1、518頁)から、国を富裕にすることはない、 というのがスミスの考え方である。

富裕な人間が収入を家事使用人の雇用などに当てれば、生産的労働者の割合は低下する。 富裕な人間が収入を貯蓄し、資本ストックを増やすことで生産的労働者は増加する。 「富裕な人々が貯蓄する部分は、利潤を獲得するために直ちに資本として用いられる」(WN1、529頁)。 スミスが述べたような、貯蓄即投資論はケインズによって批判されるまで、多くの 古典派や新古典派によって継承されていった。

節約により資本ストックを増やすことが、蓄積(拡大再生産)の必要条件であることを スミスは強調する。 マンデヴィルの有効需要論とは対極的な節約論と言えるだろう。

「われわれが一国の真の富と収入をどのようなものであると想像するに せよ、……すべて浪費家は公共社会の敵であり、節約家はすべてその恩 人である。」(WN1、533頁)
ただし、スミスが問題にするの個人の浪費よりもむしろ、国家としての浪費である。 次の引用にある必要以上の軍隊への支出には、植民地アメリカを維持するための 軍隊への支出が読みこめるであろう。
「大国が、私的な浪費や不始末によって貧乏になるようなことは決して ないが、公的な浪費や不始末によってそうなることは時々ある。公収入 の全て、またはほとんど全ては、たいていの国では、例えば次のような 不生産的な人間の維持に用いられる。すなわち、多数の人の群がる壮麗 な宮廷、宗教関係の大造営物、平時には何物も生産せず、戦時には戦争 継続の間ですら自分たちの維持費を償うにたりる何物も獲得しない大艦 隊や大陸軍、などを構成する人々がそれである。そういう人々は、自分 自身は何も生産しないので、他の人々の労働の生産物によって全て維持 される。」(WN1、535頁)
資本の投下順序
資本は投下部面によって、農業、工業、卸売り業、小売業の順番で付加価値は 小さくなる考えていた。 本来ならば「自分自身の私的利潤に対する配慮から」(WN1、585頁)、この順序で自然と 資本は投下されていくはずである。 しかし、重商主義政策が実行されているために、あるいはそれが廃止された後までも、 不自然な慣習によって、 卸売り業の一部である外国貿易に資本が過剰に投下されているとスミスは見ている。
「〔政治経済学の〕目標としては、国内商業よりも消費物の外国貿易を、またはこの二つ どれよりも中継貿易を優先させたり特別に奨励したりすべきではない」(WN1、581頁)
「事物の自然の成り行きとして、およそ発展しつつあるすべての社会の資本の大部分は、 まず第一に農業に、ついで製造業に、そして一番最後に外国貿易に投下される。 ....ヨーロッパのすべての近代国家においては、この自然の順序が多くの点で まったく逆転されている。」(WN2、10頁)

商業の秩序形成機能
『道徳感情論』で擁護されていた商業社会は、『国富論』では歴史的な観点から肯定される。 スミスの商業社会の大雑把なイメージを第3篇で確認しておこう。 商業社会以前は「戦闘状態」でかつ、住民は「領主に対して奴隷的隷属状態」に置かれていた。ここに自由と安全をもたらしたのが商工業であったというのがスミスの歴史観である。

「従来ほとんどつねに隣人とは戦闘状態にあり、領主に対しては奴隷的隷属状態におかれて暮らしてきた農村住民の間に、商業と製造業は徐々に秩序と善政をもたらし、それとともに個人の自由と安全をももたらした。この点はほとんど注意されていないのだが、商工業がもたらした結果の中でもっとも重要なものである。」(WN2,53頁)

政府の役割
スミスはアメリカ独立を支持したが、アメリカに限らず植民地政策をスミスは全面的に否定している。重商主義批判の中心ポイントであった植民地政策批判を引用しておこう。

「ヨーロッパ諸国の政策はアメリカ植民地の最初の建設においても、また、その植民地の統治に関する限り、その後の植民地の繁栄においても、誇るに足るものはほとんどない。愚劣と不正、これこそが植民地建設の最初の計画を支配し指導した根本の動機であったようだ。すなわち、金銀鉱山をあさり求めた愚劣がそれであり、またヨーロッパ人に危害を加えるどころか、最初の冒険者たちを親切に手厚く迎えた穏やかな原住民の国土を貪欲にに領有しようとした不正義がそれである。」(WN2,341頁)

重商主義批判の一つとして社会に不利益をもたらす様々な規制の撤廃をスミスは主張する。その一つが市場の制限である。

「しかしながら、商業や製造業のどんな特定部門でも、商人たちの利害は、つねに いくつかの点で公共社会の利害と違っているし、それと対立することさえある。市 場を拡大しかつ競争を制限することは、つねに商人たちの利益である。市場を拡大 することは、公共社会の利益と十分に一致することがしばしばあるが、競争を制限 することは、つねに公共社会の利益に反するにちがいないしまたそれは、商人たち が、自然の率以上に利潤を引き上げることによって、自分たちの利益のために、他 の同胞市民から不合理な税を取り立てるのに役立つだけである。商業上のなにか新 しい法律か規制について、この階級から出てくる提案は、つねに大いに警戒して聞 くべきである。また、その提案を採用するにあたっては、最も周到な注意ばかりか、 最も疑い深い注意をも払って、長く念入りに検討しなければならない。」 (WN1、406頁)
特権や制限がなくなれば、「自然的自由の制度」が実現すると考えた。 それは「正義の諸規則」の範囲内で個人が利益を追求していく体制である。 この体制のもとではあたかも「見えざる手」に導かれるように、 個人の利益の追求が公共の利益の増進につながることになる。
「社会公共の利益を増進しようなどと意図しているわけでもないし、 また自分がどれだけ増進しているのかも知っているわけではない。 ....彼らは自分自身の利得のために産業を運営するのだが、 そうすることによって、彼は他の多くの場合と同じく、この場合にも見えざる手に 導かれて、自分では意図していなかった一目的を促進することになる。 彼がこの目的を意図していなかったということは、意図していた場合に比べて 必ずしも悪いことではない。 社会の利益を増進しようと思いこんでいる場合よりも、自分自身の利益を追求する 方がはるかに有効に社会の利益を増進することがしばしばある。 社会のためにやるのだと称して商売をしている輩が、社会の福祉を真に増進したというような話は、いまだかつて聞いたことがない。」(WN2、120頁)
スミスは、意図せざる結果として、個人の利益の追求が公共の利益を増進させる メカニズムを経済の分析を通じて明らかにしたことになる。 次の引用では意図せざる結果の逆、すなわち、「意図しても実現できない結果」とでも 言いうる状況にも言及がある。 こうした議論は後のハイエクによって、「設計主義の限界」として論ぜられていく。 スミスの理想とする社会において、政府の役割はかなり限定される。
「それゆえ、特恵あるいは制限を行なういっさいの制度が、こうして完全に撤廃さ れれば、簡明な自然的自由の制度がおのずからできあがってくる。そうなれば、各 人は正義の法を侵さないかぎりは完全に自由に自分がやりたいようにして自分の利 益を追求し、自分の勤労と資本をもって、他のだれとでも、他のどの階級とでも競 争することができる。そうなれば、国の主権者は、私人の勤労を監督して社会の利 益に最も適合する事業に向かわせるという義務から、完全にまぬがれることになる。 もし主権者にしてこの義務を遂行しようなどとするならば、つねにかならずや限り ない妄想に陥るのであって、しかも人の智恵と知識の限りを尽くしても、これを正 しく遂行することは不可能なのである。自然的自由の制度によれば、主権者が配慮 すべき義務はわずかに3つである。」(WN2、511頁)
主権者の義務は国防、司法、公共事業(および公共施設)に限定される。 国防と司法は商業社会の大前提である、所有権や契約を遵守、維持させるために 必要なものである。 公共事業は、社会にとっては有益であっても「個人または少数の個人ではそういう 事業からの収益で費用を償うことができない」(WN3、54頁)から、 政府が支出すべきであるとした。

租税4原則
スミスは租税をかける際に守るべき原則として、 租税4原則挙げる(これは公務員試験でもよく出題される!)。

  1. 公平:租税能力に応じた負担(応能原則+応益原則)
  2. 明確:支払い金額・納税の時期・支払い方法が明瞭であること
  3. 便宜:支払うのに都合のよい時期や方法であること
  4. 徴税費節約:

公平の原則については次のように述べている。

「全ての国の国民は、その政府を維持するために、各人がそれぞれの税負担能力にできるだけ比例して、言いかえれば、各自が国家の保護の下で、それぞれの手に入れる収入にできるだけ比例して拠出すべきである。大国における政府の経費と各個人との関係は、一大所有地における、その経営費と共同借地人との関係に似ており、共同借地人は誰でもこの所有地から受ける、それぞれの利益に比例して拠出する義務がある。この原則を守るかいなかということに、いわゆる課税の公平不公平がかかっている。」(WN3,220頁)

この部分についての解釈には論争があり、応益原則(利益説)として理解される場合が多い。しかし、私見では応能原則(能力説)と読むべきと思われる。というのは、このパラグラフ自体には解釈の幅がありうるにしても、これ以後に展開される個々の租税の検討において、第一原則は明らかにを税負担能力として解されているからである(ex.WN3,225頁)。

スミスはこれら4原則に加えて、生産の妨げになりにくい租税を選ぶべきとしている。 こういった基準を完全に満たす租税はないとしながらも、 比較的すぐれた税として、奢侈品にかける税と土地の評価にもとづいた地代税および 家屋の敷地かける税などを推奨している (現代風に言えば、高級品への物品税と固定資産税にほぼ相当する)。 他方、賃金や利潤にかける税を批判している。

俗説的解釈
スミスが商業社会を肯定的に見ていたことは否定できない。 しかし、スミスの意図を超えた一面的な解釈が行われてきたのも事実である。 例えば、「レッセ・フェール論者としてのスミス」や、 「スミスは政府を必要悪と見なしていた」といった俗説的解釈である。

「政治経済学は、およそ政治家あるいは立法者たるものの行うべき学の一部門とし てみると、はっきり異なった二つの目的を持っている。その第一は、国民に豊かな 収入もしくは生活資料を供給することである。つまり、もっともはっきり言えば、 国民にそうした収入や生活資料を自分で調達できるようにさせることである。第二 は、国家すなわち公共社会に対して、公務の遂行に十分な収入を供することである。 だから経済学は、国民と主権者の双方をともに富ませることを目指している。」(WN2、75頁)

『国富論』第5篇は分業論の延長線上にある。 第1,2篇が商業社会の分業論を扱い、 第3,4篇が重商主義批判を通じて国家による分業の消極的側面を扱ったのに対して、 第5篇が国家による分業の積極的側面を扱ったということになる。 「商人〔民間〕の性格と主権者〔政府〕の性格ほど両立しえない性格はない」(WN3、212頁) と述べているように、商業社会と国家は全くことなる原理において機能する。 今日的ないい方をすれば、民間のやるべき仕事と政府のやるべき仕事の性質の違いを 示したものと言える。

商業社会(市場)においては資本家の利己的な活動も肯定されていたが、 資本家層は政治の担い手にはふさわしくない階層と見なされている。 『国富論』において政治の担い手として期待されているのは地主である。 彼らは利己的な原理ではなく、社会全体の利害に即して行動すると考えられたからである。 (地代は社会の進歩とともに増大する それゆえ、地主の利益と社会全体の利益は合致する、というのがスミスの見方である)。

今日話題になっている「郵便事業」についての言及がある。 スミスによれば、郵便事業は郵便料金で利潤を容易に回収できるから 「どんな性格の政府が経営してもうまくゆく、唯一の商業的企業である」(WN3、210頁) ということになる。 原理的には民営化が可能であるが、スミスは国家の一収入源として郵便事業を位置付けており、 民間に委ねるべきとは言っていない。
「今日の資本主義体制の擁護者スミス」といったスミス像も大幅な修正が必要である。 スミスは現代資本主義の根幹と言える株式会社を批判的に見ていたし、 銀行による信用創造も行うべきとは考えていなかった(融通手形の禁止を主張)。 実体経済から乖離しがちな金融の側面を、スミスは否定的に見ていたのである。

また、商業社会において労働者が勤勉になっていくという肯定的側面を強調したが、 同時に否定的側面も見失ってはいない。 分業による部分労働者化の問題と都市における放縦の問題である。

「分業の発達とともに、労働で生活する人々の圧倒的部分、つまり国民大衆のつく 仕事は、少数のしばしば一つか二つのごく単純な作業に限定されてしまうようにな る。……努めて理解力を働かせたり工夫を凝らしたりする機会がない。こうして、 自然にこうした努力をする習慣を失いたいていは神の創った人間としてなり下がれ るかぎり愚かになり、無知になる。……進歩した文明社会ではどこでも、政府が何 か防止の労をとらぬかぎり、労働貧民、つまり国民大衆の必然的に陥る状態なのであ る」(WN3、143頁)
この対策として、初等教育の義務化を提案している。 最後に、放縦の問題を、諸君らへの警句として挙げておこう。
「田舎の村にいる間なら、彼の行動は注目もされようし、自分の行動に気を配らな ければならないかもしれない。……ところが、大都会に出て来るやいなや、彼は世 に埋もれ、不善のうちに身を潜める。……ありとあらゆる低劣な道楽と悪徳に身を 持ち崩すことにどうしても陥りやすい。」(WN3、169頁)

スミスまとめ
『国富論』は「分析的」というよりも「記述的」な性格が強い 書物である。 言いかえれば、きわめて歴史的な性格が強い書物である。 しかし、『国富論』は経済システムを体系的に描き出そうとした傑出した試みである ことは否定できまい。 商業社会の擁護や、重商主義批判のために、あれだけ大部の体系的な書物を著さざる をえなかったと言ってもよいだろう。

分析的な発展は後のリカードによって飛躍的に前進することになる。