重商主義の経済思想 続き

はじめに

スチュアート『経済学原理』は「重商主義の最後の体系」と呼ばれることがある。この後期重商主義を代表する著作からわずか9年後に、古典派経済学を確立したアダム・スミス『国富論』が登場する。スミスはスチュアートの名前こそ出さなかったが、批判対象として念頭においていたのはスチュアート『原理』であった。『原理』と『国富論』とでは体系構成も志向している政策も対照的である。この違いは対象の違いに起因する。『原理』の対象が本源的蓄積の途上にある経済であったのに対して、『国富論』は既に本源的蓄積が終了した段階を対象としている。

スチュアートの生涯:1713-1780。生没年ともにちょうどスミスより10年早い。スコットランドの貴族の子として生まれる。エジンバラ大学で法律を学び、法律家として活動する。1745年に名誉革命で追放されたスチュアート朝の復興を企てるジャコバイトの乱に加担したために、18年間大陸で亡命生活を送る。パリ、南ドイツ、イタリアなどを流転しながら執筆を開始した『経済学原理』は、帰国を許された後の隠遁生活の中で1767年に完成する。大陸滞在中の経験や見聞が『原理』には大きな影響を与えている。社会の発展には普遍的な方向があるがそれと同時に、国ごとの固有の現象があり、そのために国ごとに異なる経済政策があることを主張した。こうした主張は大陸を流転した経験にもとづくものであった。スチュアートはモンテスキューとヒュームから大きな影響を受けたと言われている。スミス『国富論』の影に隠れたために『経済学原理』は長い間、正統な評価を与えられることがなかった。

用語解説 : 本源的蓄積(別訳:原始的蓄積)。資本主義社会が成立するためには、生産手段を所有する階級と生産手段を所有しない階級が必要である。この条件を歴史的に成立させるプロセスを「本源的蓄積」と呼ぶ。イギリスでは15世紀末ごろから始まる。土地を所有し自らそれを耕作していた独立自営農民(ヨーマン)が分解し、一方では土地を奪われた賃金労働者が、他方では工場主や借地農業者が誕生していった。強制的に農民を土地から追い払うことになったエンクロージャー(囲い込み)は、本源的蓄積を促進する役割を果たした。

固有名詞こそ明示されていないが、『国富論』で主要な批判対象となっているのはスチュアート『原理』で説かれた重商主義政策である。それゆえ、『国富論』を規準に考えるならば、『原理』は乗り越えられた書物ということになる。しかし、政府が市場をコントロールする能力と義務を持つとするスチュアートの主張は、20世紀のケインズの先駆であると見なすことも可能である。

人口論争

『原理』が書かれる背景には18世紀後半の「人口論争」がある。18世紀の後半にフランスやイギリスでは、古代と比べて人口は増加しているのか、それとも減少しているのか、という人口論争が行われた。GDPなどの経済指標がなかったこの時代に、人口は国力をはかる重要な指標とされていた。当時の技術を想像すれば分かるように、人口は最重要の生産要素であった。また、重商主義戦争を遂行するに当たって、人口は軍事力という観点からも重視されていた。したがって、人口が減少しつつある国家は、衰退しつつある国家を意味したのである。とはいえ、人口統計も整備されておらず、同時代の人口の把握さえ困難な状況にあった。そのために、現在と過去の人口については乏しい証拠をもとに、大胆な推測をまじえながら論争は展開されていった。

『法の精神』(1748)で知られるフランスのモンテスキューは、『ペルシャ人の手紙』(1721)において人口減少論を唱えていた。モンテスキューはローマ帝国の崩壊以後、ヨーロッパの人口は50分の1程度にまで減少したと主張した。その理由として古代ローマの小土地所有制の方が、近代国家よりも国家の繁栄に適していることをあげている。この議論をイギリスで継承したのがロバート・ウォーレス(1697-1771)であった。ウォーレスは、近代社会が生み出した土地の不平等な所有と奢侈的な商工業の発展のせいで人口が減少していると述べた。ウォーレスによれば、財産を蓄えた人間が購入する奢侈品を製造するために、土地や人口などの資源が奢侈品製造に振り向けられてしまい、食糧生産が減少している。これが人口減少の原因であるとウォーレスは考えた。このような主張の背景には、当時行われていた囲い込みがあった。囲い込みは農業の資本主義化を押し進める役割を果たしたが、それによって土地を奪われた農民が浮浪者化していた。ウォーレスは囲い込みに反対し、独立自営農民を保護すべきであるとして、人口減少論を展開したのである。

ヒューム(1711-76)はウォーレスを批判した。まずヒュームは古代社会の方が人口が稠密であったとする証拠は存在しないとしてウォーレスの議論に根拠がないことを指摘する。さらにヒュームは商工業が発展した社会の方が人口の維持増大に適していると考えた。ウォーレスは工業が発展することが農業を衰退させると見たが、ヒュームは工業が農業の発展を刺激すると考えたのである。ヒュームは次のように考えた。奢侈的な製造業が発展すれば、農業部門で働く人たちの間に工業製品に対する欲望を生み出すことになる。その結果、製造品を獲得するためにより勤勉に働くことになる。このように製造業が発展すると勤勉さを生み出すというのである。また、製造業は農産物に対する市場を形成することになり、より一層の農業の発展を結果的にもたらす。これがヒュームの考えであった。つまり、農業と工業を分離させながら商品経済が発展していくことで、生産者の欲求が広がり、生産力の上昇を生み出すことになる。それゆえ、たとえ所有の不平等や貧富の格差を生み出したとしても、近代社会の方が富裕な社会であるとヒュームは論じたのである。

補足 : ヒュームは当時の支配的な考え方にいくつか異を唱えたことになる。第一に、生活に不可欠な農業こそが経済の基本であるとする考え方に対する異論である。第二に、奢侈や欲望を否定的に見る風潮に対する異論である。ヒューム以前にもマンデヴィルのように奢侈を擁護する議論は存在した。しかし、奢侈を追求する贅沢は、道徳的に好ましくないとするモンテスキューのような考え方も依然として強かった。

このように人口論争は古代と近代の人口の大小を巡る論争から発生したが、その内実は本源的蓄積期にある社会の是非を問う論争であった。ヒュームとウォーレスに端を発する論争には多くの論者が参加した。人口論争は人口を軸にしながら、商工業の発展の是非、貧困問題、救貧法問題などを論争する場となっていく。スチュアート『原理』第一篇もこの人口論争を継承する形で、議論が展開されていく。しかし、スチュアートの関心は人口数の大小比較にはなかった。人口の上限を制約している経済的条件とは何か。これを解明することがスチュアートの関心であった。

『原理』の構成

『国富論』は経済理論をまず説き、その後で経済政策論や財政論を説く構成となっている。つまり、理論と政策が峻別されている。これに対してスチュアート『原理』は、経済理論と政策とが渾然一体となって展開されている。その意味で、政策論を中心におき、その補完として理論的考察を行ってきた重商主義文献の系譜にあると言いうる。『原理』の性格はサブタイトルによく表れている。長ったらしいサブタイトルは「自由な諸国民の国内政策の科学に関する試論:その中で特に、人口、農業、商業、工業、貨幣、鋳貨、利子、流通、銀行、為替、公信用、ならびに租税について考察される」となっている。まさに「政策の科学」が考察の対象なのである。

しかし、政策の考察が中心であるとはいえ、理論的な考察を土台にして政策を論じているという特徴がある。『原理』冒頭で次のように述べている。「本書は国内政策のもつ複雑な利害関係を諸原理に要約して、これを正規の科学にまとめあげようとしたものである」。政策を目的とはしているが、「科学」として経済学を体系化しようとしたねらいを持っていたことがわかるであろう。時論的な性格の書物ではないのである。『原理』の篇別構成をあげておこう。

第一篇「人口と農業について」
第二篇「商業と工業について」
第三篇「貨幣と鋳貨について」
第四篇「信用と負債について」
第五篇「租税と租税収入の適切な運用について」

「ステーツマン=為政者」

『原理』は第一篇の冒頭で経済学の役割を述べている。人々の欲望を満たすように、物を生産することが目的である。なお、「ファンド」は経済学の文献でしばしば使われる言葉である。資金、所持金といった意味があるが、ここでは物の貯えのことである。

「この科学〔経済学〕の主要な目的は、全住民のために生活資料の一定のファンドを確保することであり、それを不安定にするおそれのある事情を全て取り除くことである。すなわち、社会の欲望を充足するのに必要な全ての物質を準備することであり、また住民の間で相互関係と相互依存の状態とが自ずから形成され、その結果それぞれの利益に導かれておのおのの相互的な欲望を充足させるように仕事を与えることである。」(3頁)

欲望の多様化に応じた分業にもとづく人々の関係を「相互関係と相互依存の状態」と表現している。一見すると、それらは「それぞれの利益に導かれて」「自ずから形成される」かのように読める。しかし、利己的な諸個人が集まるだけで、欲望充足の実現という経済学の目的が自動的に達成されるわけではない。「為政者 statesman」の関与が無ければ、言い換えれば政策介入がなければ経済が順調に動かないという認識がスチュアートにはある(statesmanは「政治家」と訳しうるが、スチュアートは立法と行政に従事する者をステーツマンと定義しているので、慣例に従って「為政者」としておく)。スチュアートの世界では、一般の市民は利己心にもとづいて行動することが前提となっている。しかし、為政者は私利私欲に走らずに、まさに公共の利益のために経済を運営することが求められている。では、公共の利益を実現するように、為政者は自由に経済を運営することができるのだろうか?スチュアートは否と答える。

「為政者はたとえこの世で最も専制的な君主であったとしても、意のままに経済を成り立たせる主人でもなければ、またその最高権力の行使に当たって既存の経済の規則を覆すような主人でもない。」(3頁)

現代的な表現を用いれば、この「経済の規則」は「経済法則」に当たる。つまり、法則的に動いている経済の運動は、為政者といえども人為的に好き勝手に変えることはできないというのである。為政者の可能な役割を明らかにするためにも「経済の規則」の解明が必要になってくる。理論を土台とした政策提言とはこのことを意味している。

農工分離プロセス

『原理』第一篇は本源的蓄積を理論的に再構成しながら、経済の運動法則や為政者の役割を解明していく。人口論争が提起した、人口増加と農業・工業との関係をなぞらえながら本源的蓄積の再構成が行っていく。議論の流れはヒュームの線上にある。出発点に置かれているのは独立自営農民である。もし、独立自営農民しか存在していなければ、食糧生産は低い水準に留まってしまう。この水準を引き上げることが問題となる。つまり、自己消費を越える食糧の余剰を農民に生産させることが問題となる。しかし、奴隷制ではないから、強制的に余剰食糧を生産させることはできない。あくまでも彼らの欲望にうったえかけなければならない。だからスチュアートは次のようにも表現している。「〔奴隷制の時代は〕人間は他人の奴隷であったために労働を強いられたのであるが、今日では自分の欲望の奴隷であるために労働を強いられるのでる」(37頁)。農業者が非農業セクターの生産する財を欲することが第一に必要となる。こうして余剰農産物は非農業セクターへの食糧として供給される道がひらかれる。

「次のことを一つの原理と規定してよいだろう。すなわち農業者(farmer)は余剰によって何らかの欲望が充足されない限りは、わざわざ自分の消費を越えて余分な穀物を生産する労働をしないであろう。また他の勤勉な人たちも、別の方法では容易に入手できない生活資料を獲得するという理由がなければ、農業者の欲望を満たすために働かないだろう。これが社会を結合させるために、為政者が作り出さなければならない相互的な欲望なのである。すなわち、自由な国民の間で行われる農業は、貧民がどの程度まで自分の労働をもって生活資料を購入できるのかという状態に比例して人口を増大させるであろう。」(26頁)

欲望の展開を原動力とした分業の発展という図式を確認しておこう。つまり、利己心にもとづく個人の行動が経済を発展させると見ているのである。分業の進展は商品の交換(売買)を媒介にした、人々の「結合」を生み出すことになる。なお、この引用中には為政者の役割についての言及もある。相互的欲望を作り出す必要という役割が語られていることを確認しておこう。

さて人口という観点からスチュアートの議論を確認しておこう。スチュアートは二つの食糧増産の上限を問題にする。一つは「物理的不可能」と呼ぶ、物理的な食糧増産の限界である。これは土地や人間などの生産要素を食糧にできるだけ振り向けた場合の食糧生産の上限を意味すると言ってよいだろう。もう一つは「社会的不可能 (moral incapacity)」である。これは相互的な欲望がうまく満たされなかったために、食糧生産が物理的不可能以下の水準でしか行われていない状態である。

「食物の不足のために人口が停止しなければならない国のあることが認められる。しかも、こういう国でも....食物は十分に増産可能なのである。経験上、いたるところでこのような事態に陥っていることが分かる。....こういう国民は〔人口の〕増殖についても一種の社会的不可能の状態にあるものと私は考える。どのような手段を持ってしても食物増産の実現が事実上不可能であれば、それは物理的不可能だということになろう。」(28頁)

スチュアートは、工業が発展しなければ社会的不可能の水準が低くなることを問題にしているのである。これが奢侈的な製造業の発展を批判したウォーレスへの反論になっていることは明らかだろう。仮に一人当たりの食糧消費量を一定であるとするならば、農業部門の自己消費と余剰に比率は、セクター間での人口比率を規定することになる。

「農業に従事している人々と農業の負担において仕事をしている人々との比率は、総生産物の土地のレントに対する割合に近いということになる。言い換えれば、農業者と彼らに扶養されざるをえない者たち〔工業人口や非勤労者〕とによる消費の純生産物に対する割合だと考えてよい。」(40頁)

通常「レント」は「地代」と訳される。スミス以降になると、利潤と地代とが明確に区分されて「レント」は利潤とは別の収入範疇ということになる(付加価値の賃金・利潤・地代への分割)。しかし、本源的蓄積の時代を対象にしたスチュアートの場合には、農業者というと資本主義的な借地農の場合と独立自営農民の場合の二つがある。そのためにレント=「地代」と語っている場合と、レント=「利潤+地代」としている場合がある。この引用では後者である。要するに、農業者の自己消費分を上回る生産物が「レント」である。ここまでの議論から、相互需要・農工分離・食糧増産・人口増大という4者の関係として、人口の増大の条件を見ていたことが確認できるであろう。

人為的調和論

農工分離のプロセスは産業間のバランスを保ちながら、順調に進んでいくとは限らない。バランスを崩した場合には為政者が政策的に介入する必要が生じることになる。

「〔競争が適度に行われているとき〕勤労と交易は順調に進行して、互いに調和が保たれている。この場合には、当事者の双方が利益を得るからである。勤勉な人はその創意に比例して報いられる。....このような好ましい状態は、為政者の配慮なしには持続しえない。彼がここで果たすべき任務を怠ると、結果として多大な努力を払って育成してきたはずの勤労の精神が消滅したり、勤労の生産物が多数の購買者の手に届かないほど高い価値に騰貴してしまう。」(207頁)

国民の生活の基盤である食糧の安定供給は、当時のヨーロッパにおいて重要な政治的問題であった。そのために穀物価格を法律で定めるといった方策が広く採られていた。食糧生産が不足している場合のスチュアートの推奨する政策を見ておこう。

「勤労の進展が人口を増大させて、生活資料の不足をもたらしたときには、為政者は生活資料の価格がどの程度の高さにまで騰貴するのが適当であるかを判断しなければならない。新しい土地の開墾を奨励するために、その価格が騰貴しすぎる....場合には、為政者は自分の財布すなわち国庫を開いて農業に奨励を与え、輸出が抑制されることのないようにしなければならない。こうすれば、生活資料の価格を過度に高騰させずに、求められている〔需要の〕増大に比例して増加させられるであろう。....〔需要の〕増大が緊急なものだとすれば、為政者は自国の農業への奨励を続けるとともに、増加までの期間は生活資料を輸入させなければならない。」(212頁)

18世紀の半ばまでのイギリスは穀物輸出国であった。小麦の輸出奨励金制度は当時のイギリスでは実際に行われていた制度で、後にスミスが厳しく批判することになる。

農業だけではなく工業についても為政者の果たすべき役割を認めている。新しく興すべき産業については幼稚産業保護論の立場から、為政者による保護・育成を主張していた。例としてフランスの毛織物業を挙げている。イギリス毛織物業との競争にさらされていれば、フランス毛織物業が発展することはなかっただろうと述べている(こうした主張が後のドイツ歴史学派のリストなどから評価されたことを指摘しておこう)。

「工業を促進するためには、為政者は許可するとともに保護するように行動しなければならない。イングランドで毛織物製造業から大きな利益が引き出されているのをフランス国王が見たとしても、フランス国王がフランスでの毛織物製造業の支持に乗り出さず、企業者に多くの特権を与えず、全ての外国製布地の輸入に厳重な制限を課す措置をとらなかったとするならば、この製造業は果たしてフランスに導入されたであろうか?それ以外に、どこか新規の製造業を確立する方法があるだろうか?」(385頁)

しかし、順調に発展した産業に保護を与えることについてはスチュアートも否定している。トマス・マンが擁護した東インド会社をスチュアートは批判している。

「会社が排他的な特恵の恩恵を受けるのは、初期の商業がさらされる困難のゆえである。こうした困難がひとたび克服され、会社が堅固な基礎の上にすえられると、新しい収益の対象が日々現われて、いつしか設立の趣旨がその団体の付随的な利害のためにしばしば見失われてしまう。したがって、ある団体に一定の目的で付与された排他的特権が、その団体を発足させたのとは無関係な利害にまで拡大されることのないように注意するのが為政者の役割である。」(433頁)

独占会社の問題として指摘しているのが、販売量を抑制することで独占利潤をあげるという弊害である。こうしたことが起きないように、為政者自身が介入して例外的に価格規制を行ってもよいとしている。成長を遂げた産業は競争にさらされるべきだというのがスチュアートの考え方であった。

譲渡利潤

農業と工業とがバランスよく発展することが経済発展にとって重要であるとスチュアートは見ていた。このバランスが維持されている時には商品を販売することで適切な水準の利潤が生まれるとしている。スチュアートは利潤についていろいろな呼び方をしているが、基本となる利潤を「譲渡利潤(profit upon alienation)」と呼んでいる。「私は商品の価格の中に現実に存在しお互いに全く異なる二つのものを認める。それは商品の実質的価値(real value)と譲渡利潤である」(170頁)。「実質的価値」とはおおよそ、労働者の生活費用+原材料+道具の費用と考えていた。「譲渡利潤」とは販売の結果、実現する利潤という意味である。譲渡利潤という名称から購買者から譲渡された利潤という意味に解されやすいが、流通の過程だけだが利潤を生み出すとスチュアートは考えていたわけではない。だから、「積極的利潤」と「相対的利潤」とを区別している。「積極的利潤」は労働や熟練の結果生み出される利潤で、社会の富あるいは福祉を増大させることになる。これに対して、「相対的利潤」は誰かの損失分を源泉とする利潤である。この場合にはゼロサム・ゲームで、社会の富は増大しないことになる。

「利潤...を私は積極的、相対的、複合的に分ける。積極的利潤は誰の損失にもならないという意味を含んでいる。それは労働、勤労または創意工夫の増大からくるもので、公共の福祉(public good)を高めまたは増大させる効果を持っている。....相対的利潤は誰かの損失になるという意味を含んでいる。それは当事者の間の富のバランスの振動を示すものであるが、全体的資産には何の追加もないという意味である。....複合的なものは容易に理解されるように、一部分は相対的で、また一部分は積極的である。」(192頁)

譲渡利潤の大きさを決定するのに重要な役割を果たすのが有効需要である。有効需要とは貨幣の支出をともなう需要である。

「〔貨幣が導入されると〕ここに一つの新しい欲望の対象が生み出される。誰もが貨幣を持つことを好むようになるが、どうしてそれを入手するかが問題となる。....この想像上の富(貨幣)が国内にうまく導入されるようになると、奢侈がきわめて自然にそれに続いて起こるであろう。そして貨幣がわれわれの欲望の対象になると、人類は勤勉になって、そのために富者が喜んで貨幣を手放すであろうと思われるあらゆるものを作る方向に労働を振り向けることになる。」(30-31頁)

スチュアートは貨幣のことを「全機構の機動力(spring of the whole machine)」(107頁)と呼ぶ。つまり、貨幣を持ったものが需要することで剰余の生産が行われるというのである。

貨幣数量説批判

貨幣が経済に与える影響について、今日まで及んでいる二つの相対立する見解がある。一つは、「貨幣数量説」と呼ばれる見解である。この理論は国内で貨幣(=金銀)が増加しても、それは物価を押し上げるだけに終わるとする見解である。例えば、貨幣が2倍になったとしても、賃金や物価などが全部2倍になり、実際の生産量や雇用量には変化が無いというのである。つまり、実物経済(生産、消費、雇用など)に貨幣は影響を与えないということになる。

これに対して「貨幣経済論」と呼ばれうる立場がある(この名称は必ずしも一般的ではない)。これは貨幣量の変動が実物経済に影響を与えるとする立場である。この立場によれば、貨幣量が増えると物価もある程度上昇するが、生産量や雇用量も増加することになる。重商主義の論者は主にこちらの立場をとっていた。

ヒュームは貨幣数量説を主張していた。さらに貨幣数量説を貿易と結びつけた「正貨の自動調節論」と呼ばれる考え方を展開していた。正貨の自動調節論は、 貨幣増加→物価上昇→輸出品価格上昇→輸出競争力低下→貿易赤字増大→貨幣減少→物価下落→... と示すことができる。要するに、国内の金銀を増やそうとしても、やがては国外へと流出してしまうので無駄である、という理論である。この議論は金銀を重要な富と見ていた重商主義に対する批判となっていた。

ヒュームは貨幣数量説だけを唱えていたわけではない。貨幣が増加しても物価が全般的に上昇するまでには時間がかかる。その間は生産が刺激されて、実物経済が拡大すると考えていた。この考え方を「連続的影響説」という。 詳しくはこちらを参照→ヒュームの貨幣論

さて、スチュアートはヒュームを批判して貨幣経済論の立場をとった。貨幣量に価格が比例するというヒュームの議論は「必ずや誤りを生むことになる、一般的で皮相な学説」(363頁)であると手厳しく非難する。仮に金銀が増大したとしても、「財宝として退蔵され」ることで流通に入り込まない可能性があるからだ(369頁)。このように「蓄蔵貨幣」を認めることで貨幣量と物価との比例関係が否定されたのである。貨幣の増大は生産量を増大させる傾向があり、貨幣の減少は生産量を低下させる傾向がある、というのがスチュアートの基本的な認識である。

「貨幣を増加させてみても、価格について何らかの結論が出てくるというわけではない。国民がその富に比例して支出を増加させるとは限らないからである。また、仮に彼らがそうするにしても、彼らの追加需要が直ちに十分な供給を生み出すという効果を持つならば、価格は以前の水準に戻るであろう。しかし、日常的に用いられている正貨の量を減少させると、流通は遅滞するとともに、勤労者が損害をこうむることになる。なぜならば、以前の量が流通と勤労とを、住民の欲求と欲望とに正確に比例させておくのにちょうど足りていたと、我々は想定しているからである。」(374頁)

こうした結論が出てくる背景には「有効需要」という考え方がある。有効需要(=貨幣の支払いを伴う需要)が増大すると販売価格が上昇し、それが利潤を引き上げることになる。しかし、長期間価格が高止まりするわけではなく、利潤上昇に刺激されてすぐに供給量の上昇をもたらすと考えているのである。逆は逆。これがスチュアートの考え方の基本である。価格調整よりも早い数量調整と言ってよいだろう。

こうした結論から、ヒュームの正貨の自動調節論も否定されることになる。

このようにスチュアートは自由貿易があらゆる国に利益をもたらすという議論を否定したのである。とはいえ、貿易全部を否定したわけではない。むしろ自由貿易の重要性をヒューム同様に認めている。だから、ヒュームの議論を批判する際にも「完全な開放」という表現で、完全な自由貿易を批判したのである。