歴史の発展段階と経済学

はじめに
経済学史へのイントロダクションとして、経済学の対象である〔経済〕社会の発展段階をここで概観しておきたい。時代区分の問題はきわめてやっかいな大問題へと発展してしまうので、ここでは暴力的に単純化して西ヨーロッパの歴史を概観する。また、それと対比させて日本の歴史も簡潔に整理しておこう。

西ヨーロッパの歴史
2500年間ほどの歴史は以下のように整理できる(紀元前4世紀ごろにはケルトの時代があったがここでは省略する)。

4つの時代
時代の名称時期特徴宗教
ローマ帝国の時代B.C.1c〜安定した秩序帝国末期にキリスト教を国教化
ゲルマン民族の時代A.D.4c〜バラバラの領主支配ローマカトリック
「近代国家」の時代A.D.15cごろから近代国家の成立カトリック・プロテスタント

なお、本講義の主な対象となる「経済学」は最後に登場する「近代国家」の時代である。

ローマ帝国の時代
ローマ帝国は長い間ヨーロッパ人の理想的な「古代」のイメージ(統一された帝国)であった。

都市国家ローマ(B.C.8c)→ケルトを破る→ローマ帝国(A.D.1c)

安定した帝国(Pax Romana 「ローマの平和」)
  強力な軍隊(重装歩兵)・道路「全ての道はローマに通ず」

ローマ帝国の遺産
  ローマ法
  キリスト教

伝統的多数神を否定するキリスト教を弾圧→4c初:キリスト教容認 →4c後:帝国を統一する手段として国教化

ゲルマン民族の時代
375年にはじまるゲルマン民族の大移動によってローマ帝国(古代)は崩壊し、「中世」がはじまる。 宗教的にはローマカトリックによる支配体制が成立するが、世俗的には封建領主たちが支配するばらばらの体制が長く続く(8世紀のカール大帝によるフランク王国は一時的な例外)。

■封建制
この時期の西ヨーロッパを支えていた経済の仕組みが「封建制」である。10世紀前後に確立する。

封建制は土地を媒介とした主従関係(軍事・経済システム)
ローマの恩貸地制度>→封建制度
ゲルマンの従士制度

主君から土地を与えられる代わりに、主君のために戦うのが基本的な関係。
両者は対等な契約関係であることがポイント(日本と異なる)。
土地だけでなく金銭や徴税権をもらうこともあった。
基本的な構造は、「国王→諸侯→騎士=荘園(農奴・自由農民)」であるが、実際には多様である。

国王が他の封建領主に対して絶対的な力を持ち始めることで、近代国家が成立していく。
近代国家化は西の方が早い。(イギリスが最初。ドイツは19世紀まで領邦国家)

■身分制社会
中世社会はピラミッドのような階層構造を持つ身分制社会である。王・諸侯・騎士の関係だけではなく、社会各層が上下関係で秩序付けられていた。都市のギルド(同業組合)には親方・職人・徒弟の階層があり、教会にはローマ法王を頂点とした、法王・大司教・司教・司祭という階層があった。キリスト教と密接に結びついていたこの時代の経済思想については、「キリスト教と経済思想」の項目で扱うことにしよう。

市民社会の形成へ
対等な立場に立つ諸個人が自由に商品を売買することで商品経済は成立する。それゆえ、商品経済社会が広まるにつれて、次第に封建制度(=身分制社会)は崩壊していく。身分制社会は「市民社会」へと移行していく。「市民社会」を考察するためには、思想的な変化も重要である。ヨーロッパではルネサンスと宗教改革が思想的には重大な転機と言える。その共通点は、伝統的な宗教や身分制社会の拘束から、個人を解放したところにある。自由な個人は果たして秩序ある社会を形成できるだろうか?この問いが「経済学」を生み出す要因となっていく。この点について、「政治から経済へ」の項目で考察することにしよう。

さて、封建社会は一面では、政治(権力・軍事)システムであったがゆえに、その崩壊はあらたな政治システムをも生み出すことになる。イギリスやフランスでは絶対王政という形で新たな政治システムが登場する。絶対王政を経済的に支えていたのは、特権を与えられた大商人たちであった。政治権力と経済システム(商品経済社会)の一部分が相互に重なり合うことで、「近代国家」は歩みはじめていったのである。やがて絶対王政は議会(=民主制)へと権力の座を譲り渡していくことになる(参照→名誉革命)。こうした変化は経済システムの政治システムからの独立を意味している。この時期の経済思想について「重商主義の経済思想」の項目で考察することにしよう。

近代国家の展開と資本主義経済

コロンブスの新世界到達(1492)を皮切りに、ヨーロッパ世界は世界全体との交易を行いながら経済を発展させていく。最初に成功を収めて、南北アメリカに植民地を築いていったのがスペインとポルトガルである。とりわけスペインは厖大な南米の銀をヨーロッパにもたらすことになる。17世紀になると経済の中心はスペインから独立したオランダへと移っていく。オランダは東南アジアの香辛料をヨーロッパにもたらすことで巨額の富を獲得していく。17世紀の後半から植民地の争奪を原因とするオランダ・フランス・イギリスの間で重商主義戦争が本格化していく。最終的に勝利したのはイギリスであった。

このように近代国家が覇権を争っている時代に、経済システムとしては資本主義経済が次第に成立してくる。資本主義経済とは、土地や工場などの生産手段を所有する階級と、それらを所有せず労働力(労働)を売ることで生活しなければならない階級からなる社会である。18世紀の終わりごろのイギリスでは、これらは地主階級、資本家階級、労働者階級という3つの階級として分化が進行していく。この分化を進行させる過程を「本源的蓄積(または資本の原始的蓄積)」と呼ぶ。資本主義社会も市民社会であるから、これらの3階級の間に身分的な上下関係があるわけではない。形式的には自由な個人という対等な関係にある。

生産手段を持たない労働者階級を大量に雇用していったのが工業であった。イギリスは18世紀後半に世界で最初の産業革命を経験することで、いち早く工業化社会を成立させ、19世紀に「世界の工場」として世界経済の中心に君臨することになる。工業化は資本主義を確立させた重要な出来事である。この時期の経済思想について、イギリスの経済学を中心として「古典派経済学の成立」、「古典派経済学の展開」の項目で考察することにしよう。

資本主義経済の変質

19世紀のイギリスは先進資本主義国として経済的に順調に発展していくが、国内的には労働者階級の貧困という問題を抱え込んでいた。こうした社会問題は様々な体制批判の思想を生み出していくことになる。そうした体制批判の経済思想について「マルクスの経済思想」の項目で考察することにしよう。

イギリスと比較して、19世紀のアメリカやドイツは後発資本主義国の立場に立っていた。先進国イギリスとの競争に敗れないために、自国経済の発展を探る戦略が後発資本主義国において探られることになる。この課題に答えようとした経済学として、ドイツの経済学を中心として「歴史学派の経済学」の項目で考察することにしよう。19世紀末になると、ドイツもアメリカも重化学工業を展開させながら、イギリスに追いつきやがて追い越していくことになる。

日本の歴史

地球規模で見るならば、歴史の発展は国ごとに大きな相違がある。 とはいえ、西ヨーロッパの歴史と日本の歴史には共通するところが多い(相違も大きいが)。そこで、大まかに西ヨーロッパと日本の歴史の対応を見ておこう。

日本では鎌倉時代(1192-)に封建制社会が成立する。西ヨーロッパで展開された封建制社会と極めて類似点が多いことで知られている。ただし、封建制終焉の時期が異なっている。イギリスでバラ戦争(1455-)が起きたころ、日本でも応仁の乱(1467-)がはじまっている。いずれも封建制社会を動揺させた事件である。しかし、前者は絶対王政を確立する契機となったが、日本では戦国時代を経て江戸幕府(1603)が成立する。

江戸時代を歴史の発展段階でどのように位置づけるかは論者によって分かれるが、ここでは封建制社会としておこう。とはいえ、部分的には(田沼意次の時代)、西ヨーロッパの国が同じころ行っていた「重商主義政策」と似通った政策が採られることもあった。

明治維新(1867-)によって日本の近代化が開始される。後発資本主義国として歩み始めた日本は、同じようにヨーロッパの中で後発資本主義国の立場にあったドイツの経済学(歴史学派)を導入しながら、上からの近代化を短時間で押し進めていく。


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